昼食を買いに一万円札を預けて…
3月29日の主日礼拝メッセージは、ローマ8章28節の「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がかべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」と、第一テサロニケ5章16~18節の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」でした。
礼拝後の交わりの時、私はいつものようにI兄に昼食をコンビニで買ってきてくださるようにお願いしました。その時、帰りの足代が必用と思い、お金を崩してもらいたかったので、一万円札を渡しました。
お札を落としてしまった
しばらくすると、I兄は慌てふためいた様子で帰ってきて、「お金を落としてしまった。どこでどうして落としたのか分からない。探してくる。」と言って、集会室を出て行き、F姉も一緒に探しに行きました。私もうろたえてしまい、「今までこんな事なかったのに、確かズボンのポケットに一万円札を入れるところは、見てたのだけど、ポケットに穴が開いていたのかな。無意識にゴミだと思って廊下に落としたのかな。」と思い、集会室を出て廊下を見ながら探し始めました。
感謝の祈りをするのも忘れ、I兄に申し訳なく思い、「私が悪かったのです。神さま、I兄に責めを負わせないでください。見つからず、I兄がショックを受けたら大変なので、よろしくお願いします。家計費は、神さまが補ってくださいます。」と祈り、探し続けたのですが、どこにも見当たりません。
丁度その時、警備員さんが来られたので、「この通路に一万円を落としたのですが、届いていますか?」と尋ねました。「え、財布ですか?」と言われたので、「いいえお札です。」と答えたら、「それは無理でしょう。見つかるわけありませんよ。」と返事をされて、人通りもあるし、このまま探しても無理かなと思って、集会室に戻りました。
心を騒がしてはなりません
一万円札を落としたことを知っていたR姉は、感謝の祈りをしたら、み言葉を思い出して、ヨハネ14章1節の「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じて、またわたしを信じなさい。」を教えてくださいました。そうだった、感謝の祈りです。心を騒がしてはならない、神さまを信じなくては。このみ言葉によって落ち着くことができ、I兄の帰りを待っていました。
「見つかるわけない。」と言われたお札が見つかった!
まもなく、I兄は満面の笑顔で帰ってきて、「あった、あった!窓口に行ったら、誰かが届けてくれいた。」と色々と話をしてくれました。I兄が窓口で落し物の受け取りのために手続きをしていたら、係りの方が届けてくださったのはあの方ですよと教えてくださり、その方にもお礼が出来た事、F姉が感謝の祈りをしながら探してくださった事などを聞くことが出来ました。
今回のメッセージが現実になったのです。神さまの真実を教会員の方々と共に実感して、み言葉の確かさを示してくださった、神さまに感謝しました。また、神さまの憐れみといつくしみを覚えて、励まされました。その後は教会員の方々と、昼食をとり、楽しいひと時を過ごしました。とりなしのお祈りをしてくださった、教会の方々ありがとうございます。主をほめたたえ感謝いたします。
証し:O.M姉