「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(コリント人への手紙14章1節)
聖書的には「愛」と「預言」の両方を求めることが重要!
P牧師は言われました。ここで「愛を追い求めなさい」とあるのは、愛が御霊の実の中心であり一番大事なことだからです。我々は愛を求めるべきです。
それと共に「預言を求めなさい」と書いてあります。「御霊の実である愛」そして「御霊の賜物である預言」、この両方を求めなさいと言っています。
聖書的に言うなら、この両方を求めることが重要なポイントです。
賜物に関しては、意志をもって学び、実践すること!
御霊の賜物に関しては、何もしないで、そして与えられてくるという方がいらっしゃいますが、そういう特殊な場合があるにしろ、「求める」ということが、一つ大きなポイントです。
皆さんが意思をもって賜物に関して学び、賜物を実践し、そして賜物の引き上げを図ることです。
馬橋教会にいた時、若い女性が悪霊の追い出しをやっていました。最初は大したことなかったのですが、どんどんやっていったので、その賜物はより強く発展していったのです。「求める」、「やる」ということは重要です。
霊的な感覚について!
P牧師は霊的に鈍い方で、弟さんは敏感で、彼は田舎に行っていた時に、火の玉が飛んでいたとか、言っていたそうです。大切なことは、聖霊のバプテスマを受けて、霊的な事柄を求め始める対応の中で、これは開けていくものです。イリエ・コロアマ師は、ある時、「パウロ、霊が見えるか?」と言ってきたそうです。P牧師が「時々見えますよ」と言うと、「私はしょっちゅうだ」と言っていたそうです。皆がこわがるので、言わないそうです。
賜物が用いられることを通して、「霊的な事柄が開かれてくる」ということはあるのです。そういう意味でも、「霊的な賜物」というのは重要な意味合いを持つということを覚えておいてください。
預言を取り扱い35年、事故が起こっていません!
この教会が預言を取り扱って35年になりますが、事故が起こっていません。それはどうしてかというと、聖書的に用いているからです。聖書的に用いない時に、大きな問題と困難が起こって来るのです。
聖書的に用いる時のポイントは、
(1)御霊の賜物は教会のもの
多くの人は「自分に出て来るから、自分のものだ」と思ってしまうのです。ペンテコステ以降、聖霊の賜物のポイントは教会に移ったのです。ですから、皆さんが聖霊の賜物を使う時、「教会の賜物が皆さんを通して現れている」こう思っていただきたい、と思います。
ですから、教会の指導の下に、教会の管理のもとに使っていくことが非常に重要です。
(2)吟味すること
P牧師はたまたま疑い深い、これは良いのです。単純に信じてはダメ。それが本当かどうか確認する、ということは非常に重要な事柄です。
「必ず吟味する」ということは非常に需要なことです。
P牧師が「予告予知の事柄」でぶつかった事例!
P牧師がまだ馬橋教会におられた時の夜の祈祷会でのこと。ある神学生がたまたま馬橋教会に来ていて、その祈祷会で彼が突然預言を始めました。
その預言の内容は、たまたまP牧師はOSCC問題で非常に困難な立場にいたのですが、「あなたは最後まで守られます」と言ってきたのです。
P牧師は、その神学生がP牧師の問題を知っていたので、本当に神様が語っているのか、その人が言っているのか、分からないと思いました。
すると、彼は預言を通して「あなたの聞きたいことを聞きなさい。今答えます」と言ってきました。P牧師は「それでは聞いてやろう」と思われ、声を出すと聞こえるので、心の中で言いました。すると、心の中で言った瞬間に、その人から答えが来ました。まさに、ポイントをついた言葉が次々と出てきました。
これが、P牧師が預言を通して神の働きに触れた、具体的な働きの最初でした。
(1)その預言者がおかしくなったのです。
彼は賜物を自分のものと思ってしまったのです。P牧師もその頃は預言に関して良く知らなかったのです。彼は集会で勝手に預言を始めるようになり、集会では人々は2通りに分かれました。それで、P牧師は途中で介入して止めさせました。
(2)主から来ていない理由とは(聖書的でない理由)
①Ⅰコリント14:40で「秩序が優先する」からです。
集会が乱れたのは聖書的でないのです。
②「預言が来るのを止められない」というのは、Ⅰコリント14:32「預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。」に反します。(完)