The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
MENU
週報巻頭言

霊的な「見分け」が大切です!

  • east-phila

「御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」(テサロニケ人への手紙第一5章19~21節)

ここでは、預言及び霊的な賜物の働きについて、「見分けなさい」、「吟味しなさい」ということを言っています。また、新約時代の預言は誤りを含みます。吟味して正しいことを握っていく必要があります。

P牧師は、主が海外宣教で「吟味のチーム」を、見分けを目的として派遣された体験を語って下さいました。その一つは、カナダのトロントでリバイバルが起こったというニュースが出て、トロントブレッシングに派遣された体験です。

トロントでのリバイバルでの「見分け」!

そこでは、聖霊が非常に強く働いておられました。臨在は強く、正に主が色々な祝福の業を現わしていたのを見ることができました。

でも、一方で「あれ!」という現象がありました。

一つは「倒れる」という現象です。聖霊が働いて本当に倒れるという現象は起こるのです。しかし、今日は倒れようとか、倒れないとまずいかな、祈っている人に悪いから、とか人間的なものが入って来ることがあります。悪霊が働く場合もあります。ですから、倒れるにも3通りあるのです。

また、トロントでは、「ホーリィラッフィング」という現象がありました。聖霊に開放されて笑う現象です。本当に聖霊に開放されて笑うのは良いのですが例えば、ある方が非常に困難な問題の証しをしている時、それに対して、せせら笑うようなラッフィングもあったわけです。そのため、P牧師方はそれからは一歩引いたそうです。ラッフィングから発展してでしょうか、何か犬になってガオとか、そういう感じもあったそうでう。また、聖霊の素晴らしい働きの中で、金粉が降って来たとか、そういうことも語られたそうです。

信仰が狂ってそんなことをやっているようには見えませんでしたが、やはり、行き過ぎの一つの種類であり範囲であると、感じられたそうです。

私たちは神様がなされることだけをなす、ということを大切にするのです。

はっきり確認できるまで、しっかり「見分ける」!

「倒れない人は頑なであり、倒れる人は霊的に開かれている」、そういう雰囲気があります。これは明らかに間違いなわけです。

TLEAとしては、そこから一歩引いています。もちろん、聖霊様が働いておられ、神学的に、また聖書的に、また体験的に実証できるなら、それははっきり言うべきです。

昔、フィリピンに行った時のことですが、息を吹きかけると皆が倒れると、あ~もう神様がここまで降って来たような感じであったのです。

P牧師は祈られて倒れたことが無かったので、今日は倒れよう、そう思われたそうです。しかし、まてよ、吟味していないなと。

息を吹いて倒れると聖霊を受ける、そういう聖書箇所は無いし、息がどこかで聖霊に変わらなければならない、それは聖書的ではない。当時の日本チームは全員、正しく見分けていたそうです。しかし、P牧師の友人のフィリピンの牧師と教会員は結構受け入れていたそうです。

その教会が後に、間違った教えを受け入れて、2000人の教会が20人の教会になってしまったそうです。牧師は高校の先生になったそうです。

カリスマは霊の戦いの最前線にいますから、敵の攻撃も具体的になるわけです。分からないまま進んではダメです。

「聖水」を見分ける。断定できないので止める!

馬橋教会はカトリックに近い所があったので、聖水を使っていました。聖水とは祈った水です。聖水が、霊の追い出しに有効、と言われているのです。P牧師も馬橋にいた時は使っていたそうです。

しかし、聖書的にはどんなものか。水は清める役割はします。しかし、清めるという役割の中心は血です。聖水は血に準じる役割をするのです。聖水を通して霊の断ち切りをしたりすることは、有り得る。しかし、断定はできない。神様の断定、これが大事なのです。聖水はやめたのです。

*色々な神様の業が起って来て、さらに顕著な業が今、起こり始めているなかで、この「霊的な線引き」というのは非常に重要な事柄です。

皆さん、はっきりと確認でき、対応できることをしっかり行ってください。神様はその中で栄光を現わします。霊的な見分けです!(完)

記事のKEYWORD

記事をSHARE

前のページへ戻る