
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」(ピリピ人への手紙3章20節)
2月5日、長崎市の西坂公園での「日本26聖人記念集会」で、P牧師は語ってくださいました。
みぞれ、あられ、ひょうが降る記念集会を「感謝」!
P牧師は、午前からの集会では、みぞれ、あられ、ひょうが強く降りしきる中で話されましたが、「主がこの集会を忘れないようにしてくださったこと」を感謝しましょう!と言われ、主に栄光を帰しました。確かに記憶に残る集会でした!
西坂の丘、ここは「天の門」です!
この「西坂の丘」では、26名の方々の殉教が起こったわけですが、それだけでなく、その後に、多くの方々が弾圧によって「天に旅立った所」でもあり、ここで主を讃える集会を行えることは非常に素晴らしい恵みです。
ヤコブが見た、天使が上り下りをしているはしごを見て「ここは天の門だ」と言いましたが(創世記28:17)、この西坂の丘から確実に何百人ものクリスチャンたちが天に昇って行ったのです。ですから、ここも「天の門」です、とP牧師は言われました。
大川従道先生が講師として来られた!
昨年も来てくださいまして、集会後には虹が現されました。特別な祝福と恵みがここにあります。主に感謝します。
26人の内、6人はヨーロッパからの宣教師!
先週、東ヨーロッパ宣教で、チェコのカトリックの司祭の方々とプロテスタントの我々で合同集会を行いました。カトリックの方は、フランシスコ会のチェコのリーダーの方で、私たちが26聖人のことを通して、2月5日に西坂で聖会を行っていることを伝えると、大変喜ばれて、特別な関わりを感じました。彼は、プロテスタントのリーダーと共に、出来れば来年行きたいと言われました。
26人の内、6人はヨーロッパから来ているのです。アジアの東の果て(日本)に行ったら危ないと分かっていて、いのちをかけて神に従って宣教したのです。
いのちの取り扱いの違いを見ます!
いのちは何よりも大切なもの、と考えられています。いのちを無くさないように、保てるようにすべきと私たちは感じます。
しかし、この宣教師の方々や殉教した方々は、あるいは迫害の中で主の御心を全うした方々の特徴は、「いのちを使った」ということに気がつくのです。何に使ったのか、尊いことに使ったのです。それは、神様の御心、神様の愛、神様の豊かな恵み、に使ったのです。
いのちは最も大切なものですが、それを更に大事なもののために使ったのです。それは私たちの愛する神様です。私たちに罪の赦しを与えて下さる神様です。恵みを与えて下さる、祝福を与えて下さる神様です。

ジャッキー宣教師の殉教と召天の証し。殉教の招き
P牧師等がフィリピンのダバオに宣教に行ってた時、当時は反政府ゲリラが活発で危険でした。そこにオーストラリアからジャッキー宣教師が来ていました。若い女性で、危険な地域に居るのがふさわしくないように見えました。聞くと、アメリカの有名な伝道者の集会で、殉教の招きに応答したのだそうです。
丁度、ダバオの教会では、刑務所伝道の2周年記念集会を行う予定で、P牧師の奉仕の一つはそれでした。しかし、神の御手が入り、P牧師は日程的にそれが出来なくなり、代わりにジャッキー宣教師が刑務所でメッセージすることになりました。
その前の日、大雨で伝道集会は集まらず、教会員だけの集会となり、神様はP牧師に「殉教のメッセージ」をするように導かれました。終わりにP牧師が殉教の招きをすると、ジュリエッタという高校生の姉妹、そしてジャッキーも前に出てきたのです。
次の日の刑務所伝道で、囚人たちがクリスチャンたちを拉致して立てこもり、軍が出動する事態となりました。その中でジャッキーは軍と囚人との間の連絡係となりましたが、軍がジャッキーに逃げなさいと言ったのに捕らわれたクリスチャンを救うため、囚人の方へ行き、銃撃戦となった時後ろから打たれて殉教したのです。20分ほど賛美して召されたそうです。
殉教1週年記念の時、P牧師は青い服の人の幻を見て、それが天に上ったジャッキーだったと、同姉の姉の証しで確認が取れたことを語られた。
最後に、P牧師は殉教の招きをされて、それに応答する人々が、声を上げて応答の祈りをしました。祝祷をもって終わりました。(完)