The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

従えない自分を知り、主がなされる~長崎殉教聖会!

  • east-phila
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「西坂の丘」は26聖人をはじめ、多くのクリスチャンの刑場として用いられた場所と、P牧師は語られました。多くの魂が、ここから天に行っている。まるで、ヤコブの階段(はしご)、天の門と言える。(創世記28:17)また、血が流されているが、信仰者の恵みがあり、非常に清められた場所といえる。最後まで主に従った26聖人。主は、これを引き継がせようとしています。しかし「最後まで主にしたがうこと」は、できません

実は私たちは「いかに力がないこと」、これを教えるのが主の御心なのです。26聖人には、どうして勝利が働いたのでしょう。その理由はただ一つ、「主が働いた」のです。主は、弱さを知り、主により頼む人に主の栄光、勝利を現わそうとしています。

従うことはできない者ですが、「従いたい」と願うことはできます。これは御心です。御心の願いは聞かれます。(Ⅰヨハネ5:14、15)気をつけなければならないのは、「中途半端にできない者」にならないことです。P牧師は、「絶望してください」そして「主の所に行ってください」と言われました。終末のリバイバル、いくら努力しても出来なかったことを、主がなさるのです。中途半端にできない者にならないで、出来る方の所に行くのです。私たちには、主がおられます。神様によって大きな勝利が現れるのです。主に期待していきましょう。

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筆者の感想①「西坂の丘」

「西坂の丘」に何度も行っているわけではないのですが、不思議に思うことがあります。「西坂の丘」は一つしかないのに、2月5日に毎年、TLEAでは、いつも良い時間帯をお借りできるということです。今年も、気温が低くて風も強く大変そうでしたが、午後1からの最適な時間帯が与えられています。

西坂の丘に立って2月5日に思ったことは、400年余の昔、ここから天に昇られた26聖人たちは、2月5日には必ずこの場所を天から見ているのではと思います。P牧師は、ここも、もっと多くの方々が来るでしょう、と語られました。

この事からも、私たちに対する主の使命は、非常に大きいのかも知れません。

筆者の感想②「失敗して用いられたペテロ」

ペテロは、イエス様が捉えられて試練に会っておられる時に、3回イエス様を知らないと、言ってしまいました。鶏がなく前に3回、イエス様が言われたとおりになりました。「そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。」(マタイ26:75)自分に絶望したのです。確かに、これは大事なことです。自分はできない者であることが、分かりました。イエス様に従えない自分を、ペテロは知りました。

しかし、これがその後のペテロを変えました。ペンテコステの時に、ですから絶望してからまだ1カ月半くらいしか立っていないのに、素晴らしいメッセージをしています。(使徒2:14~36)

殉教聖会でP牧師が語られた、「自分に絶望し、イエス様に頼ること」は、素晴らしいことです。私たちは 「中途半端にできない者」ではなく、自分の考えで何とかしようとするのではなく、 イエス様に従えない自分を知って、「イエス様に従いたい」と願うことです。この願いはいつも御心ですから必ず聞かれます。

26聖人も、とても最後まで従えない自分を知っていたのでしょう。だから、従えるように純粋に祈り求めて、その願いが聞かれたのです。彼らの努力や忍耐力がそうしたのでは、全くないのです。主が働かれなければ、何もできないのです。

今回のP牧師のメッセージを、いつも心にとめておきましょう。

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