「私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に勝利を得ようとして出て行った。」(ヨハネの黙示録6章2節)
黙示録は「7年間の患難時代」を中心に書いてあるのですが、一番最初にこの白い馬が出てきます。これはキリストの勝利、リバイバル、福音の勝利だと思われます。黙示録は、後の雨リバイバルと重なっている部分がありますが、これが(6章2節)それです。
黙示録の後の方(19章11節)にも白い馬が出てきますが、それは再臨のキリストを表します。白い馬は患難時代の最初から現れていて、患難時代の真ん中で携挙されると思われます。
この後の雨リバイバルのポイントは、ヨエルの預言(使徒の働き2:16~21)に出ています。ヨエルの預言では「初めの雨」と「後の雨」のことが出ているのですが、初めの雨はペンテコステの出来事です。その時に何が起こったのかというと、聖霊が下ったこと、賜物の働きが起こったこと、それと共に教会がスタートしたこと、そして使徒団の働きが導かれて行ったことです。これは働きの最初だと思われます。そしてこの働きは患難時代の真ん中で無くなるのです。
どうして無くなるのかというと、携挙があるからです。携挙の時、聖霊が携え挙げられ、教会も天に携え挙げられ、それから、賜物の働きもなくなります。さらに、反キリストの支配の時が始まります。覚えておいてください。
患難時代の真ん中まで教会時代と聖霊時代があるのですが、それは、ペンテコステの時に始まった教会時代と聖霊時代が完成されたと、こう思われるのです。
そして、私たちはこの患難時代の前半に起こる、後の雨リバイバルに大きくかかわってきていると思われます。その時に「聖霊」と「賜物の働き」そして「教会」が、これが土台になります。
私たちは、教会の一部として、内に聖霊を宿らせる者として、主は私たちを用いられ、働きを進めていくということを、覚えておいてください。
教会は五職と共にあるわけです。五職の預言者、使徒たちを通して、神の直接の指示とか働きが入ってくるわけです。それと共に、伝道者を通して伝道がなされ、また牧師、教師を通して学びと牧会がなされる、こういう形になってきます。
強力な働きをその教会がなしてゆく、その教会を土台として神様は業を進めてゆくということを覚えておいてください。(完)
神様のお考えは、思いを超えています!
N姉妹が、おじいちゃんのいやしの証しをされました。93歳にもなる方で、認知症で家に帰れなくなり、保護されました。その直後に体調を崩し、入院、手術を経て、食事をとるのも難しくなってきました。食べて飲み込むのが難しく、鼻から管を通して食事というか栄養を取る状況です。医師はこの先の見通しは厳しいと言ってたそうです。
普通に考えたら、この年齢でそうなったら、難しいだろうと思います。おじいちゃんはイエス様を信じているから、天国へ行けるので安心ですが、しかし、N姉妹は悲しかったそうです。そしてみ言葉を2つ示されたのです。それによって、おじいちゃんの現状とは違って、癒されるのかもしれないと思い、祈られたそうです。
すると、おじいちゃんは管ではなく、普通に食べることができるようになってきて、その後退院もでき、お家でサツマイモをパクパク食べられるようになりました。また、お医者さんが、おじいちゃんのことを学会で発表させてほしいと言われたそうです。主の御名をほめたたえます。
私たちは、見た目だけで、先走ってストーリーを描いてしまってはならないのです。きっとそうなってしまうだろう、と思えても、神のご計画は違うのです。
私がこの教会に導かれた時のことです。私は30年近く福音派の教会でお世話になりましたが、コリント人への手紙第一の12章~14章にある御霊の賜物の働きについては、教会ではそこに触れないのですが、大切なことではないかと思っていました。そして、C教会に導かれたのです。しかし、そこは2年くらいで、今のTLEAに導かれました。神様のストーリーは確認しなければならないのです。