「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイの福音書7章7節)
何を求めるのか、明確に
P牧師は言われました。祈りは、求めなさい、ということを言っています。だから何を求めるのか、明確にして求める、これが重要なポイントです。祈ってください、と来られる人がいますが、中には何言っているのかわからない人がいます。目標を明確にすることは重要です。
私は祈りがめちゃくちゃだ、と言われたことがあります。しかし、目標は明確についていたので、祈りは答えられてきました。下手な祈りであっても、大事なことは、答えられるかどうか、ということです。
第2に、神学校では寮にいましたが、私は早朝の食事の祈りを改革しました。朝食で(祈る人が)立って祈るのですが、5分から10分も祈ってました。私は「食事の祈りで早天(の祈り)はしないでください」と抗議しました。
私は改革して5秒で終わるようにしました。「天のお父様、この糧を感謝します」と。ポイントを絞って、ちゃんと祈る、これが重要です。
祈りで大切なのは、神と私たちの関係
祈っているのですが説教してる、ということがあります。祈りは説教ではないのです。神様に目標を定めて祈らなければならないのです。
祈りでの基本的なことは、「神と私たちの関係」です。神が全能者であって私たちの父であるわけです。そこに祈りをもっていって聞いていただくのですが、祈りが切実になったりすると、「神様、あなたはこうしなければなりません」とか「神様、これを答えてください、答えてください」とか、押しつけが出てきます。
私たちが祈る時には、私たちの「祈りの課題」を主に受け取っていただいて、答えるかどうかは主の問題です。「御心の祈りは受けたと信じる」わけですから、そういう対応をするのですが、そうであっても、私たちは子として祈りの課題を信仰を通して主に渡して、具体的に主がどうこたえるかを待たなければなりません。
答えるかどうかは神様の主権
それと共に、良く起こることは、「神に対する命令」です。こうしてください、と祈りますが、私たちは神の子供ですから、子どもとして神の前に出て、自分の祈りの課題を神に渡して、答えるかどうかは神様の主権にあります。これは御心の祈りだから答えられると思ったとしても、あくまでも、主が私たちの父なのだから、その前にへりくだって対応するのです。
その時、神は全能な父なる神であって、私たちがいろいろ聞いていただくのは、恵みなのです。私たちはへりくだって主の前に祈りの課題を持っていくということは、重要な意味合いがあるのです。このことを覚えておいてください。
祈りは強力な力!奇跡と助けを見ます!
祈りは強力な力を持っています。祈りを通して私たちはいろいろな奇跡と助けを見ます。今、我々はいろんなことを見ていますし、もっと大きなことを神様は現わそうとしておられます。そのなかで祈りのポイントを抑えるということは重要な意味合いがあるということを覚えておいてください。(完)
<聖書の言葉>…祈るべきです。失望してはならないのです!
「『どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」(ルカの福音書18章5節)
この女は、不正な裁判官に対して失礼な言葉や態度はとりませんでした。ただし、何度も来ました。ここが大切なところです。私たちも、主は必ず答えてくださる、と信じて、求めの祈りを正確に主に求めるのです。焦る必要はありません。しかし、辛抱強く求め続けましょう。主はそれを願っておられるのです。