「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(ヨハネの手紙第一5章14節)
P牧師は言われました。このみ言葉は、御心の祈りは答えられたと受け取りなさい。そうすることによって、より明確に神の業が現れる、と言っています。
礼拝場所が与えられた。しかも専用で1年間、最大の場所を
P牧師はある時、次回から礼拝場所が借りられなくなり、窮地におちいりました。夜の礼拝に集まった人たちで、講壇の前にひざまずき祈り、このことを感謝しました。P牧師は、「我々の礼拝場所があることは御心」と受け取りました。そして、「今、礼拝場所がありません。しかし、あなたはすばらしい礼拝の場所を備えています。感謝します。」と祈りました。
それは、Ⅰヨハネ5:14のみ言葉から、御心の祈りは、受けたと信じなさい、とあるので、祈りを通して明確に神様は業をなさることを受け取ったからです。
それで、どうなったのかと言うと、2200人も入れる場所を、専用で1年間借りられることになったのです。
我々は、この受けたと信じる祈りをすることは、重要な意味合いがあります!\
P牧師は学生の時から大病に…
P牧師は学生の頃、十二指腸潰瘍と慢性腎盂炎になられました。十二指腸潰瘍は吐血をして、命も危なくなる病気です。慢性腎盂炎は、治るかどうか分からない重い病気です。吐血で救急車で運ばれ、命が危なくなったこともありました。
周りの人たちは、P牧師のことを長くは生きられないと見るようになりました。P牧師が献身することを強く反対していたお母様は、死ぬのなら好きなことをやらしてあげよう、と思われたほどでした。病気が益に働いたのです。
ジョージュ・ミュラーの本で祈りを学ぶ
確かに、P牧師はご自分のいのちが危ないと思っていました。しかし、療養中にジョージュ・ミュラーの本で祈りを学び、祈りを通してだったら、これは逆転できると、こう思いました。
そして、治るように祈っていきました。「受けたと信じる祈り」のことも学んでいたので、それを適用することにしたのです。
癒しの示しが与えられ、「癒された」と告白へ
癒しについては、「イエスの十字架の打ち傷によって癒された」と書いてありますから癒されるのですが、パウロの問題もありますから、癒されるかどうか確認も必要です。P牧師は確認を求めて祈られました。そして、「私の病気は癒される」と示しが与えられました。
「私の病気を感謝します。」「私の病気は癒されました」と告白していきました。しかし、お具合はいかがですか、と言う方々は、この告白を好意的には受け止めてくれませんでした。それが辛かったようです。
告白しているのに、悪くなったのです!
P牧師は「私は治りました」「私は健康です」と告白していたら、血を吐いて緊急入院することになってしまいました。しかも、医師がドアの陰で、家族にだけ言っていました。「今晩が峠だから覚悟してください」と。それがなんとP牧師に聞こえたのです。P牧師は。「聞こえていますよ!」と言おうかと思われたそうです。(笑い)
また、ある時は、大出血で、意識が遠のき、心臓に10トンほどの重荷が下りてきたように感じて、「あ~。死ぬ過程にあるな」と思われたそうです。その時、「神様、助けて!」と言われたそうです。その瞬間に治ったそうです。その後の手術の後で、主は言われたそうです、「あなたは治った」と。
P牧師にはついていけない、という体力に!
それからはP牧師は、25年間、歯科以外の病院にいきませんでした。「霊の戦い」や「海外宣教」に、世界80カ国以上に行かれています。体力のあるN牧師やY牧師からも、P牧師の体力にはついていけない、と言われるようになりました。
P牧師は、今は第2波が許されています。やはり同じみ言葉で「癒された」と信仰の対応を取っておられます。(完)