The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

愛することは大切ですが、判断の土台は聖書に!

  • east-phila
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「また、あなたの子どもをひとりでも、モレクにささげてはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。わたしは主である。あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌みきらうべきことである。」(レビ記18章21、22節)

聖書では同性愛は罪であり、主が止めています!

P牧師は、LGBT、LGBTQ、同性愛の問題について話されました。これには、いろいろな考え方があり、医学的に考えたり、聖書的に考えたりします。

重要なのは「聖書は何と言っているか」です。このレビ記の言葉は明らかに同性愛を否定している言葉です。

このレビ記の言葉以外にも、ローマ人への手紙1章26、27節や、有名な箇所では、ソドムとゴモラ(創世記19章4、5節)でのことが書かれていて、同性愛は罪であり、主が止めていることをはっきり見ることができます。

同性愛の方も愛する人ですが、しかし罪は認めない!

同性愛の方々が来られた場合、その方々に対し愛を示し最善の事柄をするとともに、しかし、同性愛は正しくない、これから解放されるように助けを求める必要がある、そこに一つポイントがあります。

P牧師のお話では、東京アンテオケ教会でも、そういうことがあったそうです。同性愛の問題があり、報告がP牧師に届いたそうです。しかし、その人はその後、そのことを悔い改め、そのことから明らかに離れたそうです。悔い改めたので処分はなかったそうです。しかし、その人は誤解がもとでアンテオケ教会からは離れてしまったそうです。真にそこから解放を求める歩みをするなら良いのです。

同性愛の方に、悔い改めイエス様を信じるように勧めます!

私たちは罪人ですが、イエス様を信じて、罪に対しては、そこから離れようと信仰の歩みをなしているなら、主は助けを与えてくださいます。

ですから、もし同性愛の方であったとしても、真にそこからの解放を求め、その歩みをするならば、それは違う形になります。

同性愛は主に反している事柄であって、これを認めてはならないのです。罪は罪として受け取り、そういう事柄に対しては悔い改めるように、触れないように、そこから離れるように言うことは大切です。

また、一番重要なことはイエス様を信じることですから、その方にイエス様をお伝えして、最善が起きるように、イエス様を信じるように導くことは重要な意味会いがあるのです。

「愛」ということを誤用してはならない!

多くのキリスト教会が、同性愛を受け入れる側に動いてきています。同性愛を受け入れつつ愛する、ということを言っているのですが、同性愛は罪ですから、そのものを認めたうえで対応するというのは、これは間違いです。

その人自身を愛するのだけれども、同性愛自体は認めることはできないと覚えておいてください。我々が立つべきところはただ一つ、主の言葉、主の御心が大きなポイントであることを覚えておいてください。(完)

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【聖書の言葉から…創世記39章:ヨセフの信仰】

<いつも主を仰ぐことの大切さ!>

創世記37章では、ヤコブの息子ヨセフは兄たちに憎まれて、17歳の時に殺されようとしてから奴隷に売られました。12人兄弟ですが、族長の息子ですから何不自由なく育ちました。カナンからはるか彼方のエジプトに売り飛ばされ、これまでと全く違う奴隷の日々が始まりました。奴隷の辛さと、兄たちの「ヨセフなんか殺せ!」という声が耳についていたと思われ、ウツになってもおかしくない状況です。しかもそれが、奴隷として、そして囚人として10年以上も続くのです。

しかし、エジプトでの奴隷の日々と囚人にさせられてからも、ヨセフが落ち込みウツになるような様子は書かれていません。ヨセフは主を仰いでいました。

<「主との関係」を大切にしよう!>

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」(創世記39章2、3節)

ヨセフの上には主の特別な御手があり、奴隷でありながら主人の信頼を得て、すべてをまかされるようになります。神様からの、一方的な恵みがあったのです。

しかし、主の恵みを受けるヨセフの側はどうだったのでしょう。いのちの恐怖、家族からの断絶、奴隷・囚人としての拘束で非常に辛いはずです。しかしヨセフは「人にどう思われるか」よりも「主からの語りかけ」に注意深い人でした。17歳で主が見せてくださった夢を、隠すことなく兄たちに話しています。神からの語りかけは、信仰で受け取っています。

パロに仕える高官たちが牢に入って来た時も、夢で悩んでいる彼らに「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」(創世記40:8)とヨセフは言いました。この言葉から、ヨセフはいつも主を見上げていたことが分かります。「兄たちからの心の傷」はあったでしょうが、人にどう思われるか、人の顔色を見るよりも「主との関係」を大切にしているヨセフでした。主はヨセフを高く高く上げられました。

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