「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(コリント人への手紙第一14章1節)
預言など賜物の働きは、この時代に「強力な武器」!
御霊の賜物の働きは重要で、使徒2章にある「ヨエルの預言」に書いてある事柄は、この世の終わりの今の時代にあっても適用できる預言だ。この時代に、聖霊の強い働き、賜物の働きが現れてくる。しかしサタンも働くので、非常に惑わしが来て、賜物を使えないように動いている。
「聖書通りに使う」なら「強力な武器」となる!
(1)「預言」は教会の働きであり機能である(個人のものではない)ペンテコステの日から「教会」が生まれた。教会は新約時代における神の恵みの現れといえる。教会がなかった旧約時代とは異なり、新約時代の「賜物の働き」は、教会の機能として位置づけられている。だから、働きは我々個人に現れても、教会の一部として現れるので、それは教会の機能、働きとなる。だから、預言は教会の秩序に従って使うことが非常に大切だ。
(2)その預言が正しいかどうか「吟味する」ことが大切「吟味する」ということは、その預言が正しいかどうかを確認することだ。吟味することを通して預言はより重要なものとしての役割を現わす。
「御霊の賜物の働き」があるのと無いのでは、大きな差がある!
P牧師は学生時代の後半、非常に病にやられ、それは出血してしまう病で、死にそうになられたこともあった。しかし、御霊の賜物の働きがあったので、癒されてしまった。
次男のペニ君の脳障害のいやし、不思議さんの精神の病のいやしが起こった。御霊の賜物の働きがあったので癒されたのです。すると、賜物の働きがあるのと無いのでは、大きな違いがあることに気がつきます。
「預言を通しての働き」、実は、決定的な力となっている!
TLEAの賛美は、以前は下手も下手、聞いていた人が散っていくような最低レベルでした。しかし、預言で「賛美隊を立てる」、白馬キャンプで立てると語られて、今は、賛美の働きは強力なものになっているでしょう。
もし、預言が無かったら、この賛美の働きは無いのです。
同じく、預言で語られたのは、海外宣教、孤児院の働き、イスラエル伝道、月間雑誌と本の出版の働き、そして作詞・作曲もです。
作詞・作曲は、預言で「今スタートしなさい」と語られ、当てがなくてもスタートしたら、この働きは一気にやって来ました。預言は決定的な力です。
「預言の働き」は、使わないと現れてこない!
気をつけないといけないのは、TLEAは「預言の賜物」を用いていることです。使っているのです。動かしているのです。使わないと現れてこないのです。使う時に、強力な働きになって来るのです。
聖書を神の言葉と信じると、「2つの国」が1つに!
聖書に、今のイスラエルともう1つのイスラエルのことが(エゼキエル書37:15~17に)書かれていますが、P牧師は預言を通して、明確にもう1つは日本だと示されたと語られました。これも預言の働きなのです。
我々の企画や努力ではなく「神に示されたこと」に従った結果!
現わされたこれらの働きは、我々の企画や努力ではなく、預言で神が示されたことに従った結果なのです!
皆さんの中にも、例えば癒しの働きにおいて、ご自分の家族が癒されて変わったちゃった、という方が何人もいらっしゃるでしょう。もし、癒しの働きがなければ全く違った人生になった、という方々もおられます。
ですから、賜物の働きは強力な力を持っているということを覚えておいてください。
主は明確に賜物の働きを現わされるが、我々が応答しないとだめ!
預言をはじめ賜物の働きは、主は明確に現わされますが、ただ、我々が応答しないとだめなのです。「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(Ⅰコリント14:1)、これは何を言っているのかというと、賜物を使うことを熱心に求めよ、と言っているのです。
それは、もちろん、聖書の原則に従って用いるのですが、これはどうしてなのかというと、神の力が現れるからです。
我々が神のために働くということは大切なことですが、神がしようとしているのは、我々を通して神の力が具体的に現れる、このことをしようとしておられるのです。
賜物の働きは強力な土台となってくる、このことをどうぞ覚えておいてください。(完)