「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言をする。 」(使徒の働き2章17、18節)
「賜物の働き」においては、「ペンテコステ」が変わり目!
P牧師は語られました。「旧約時代」と「新約時代」というのは、「預言の働き」では大きな変わり目です。まずイエス様の十字架と復活、これが大きな変わり目です。しかし、もう1つペンテコステがあります。「賜物の働き」においては、ペンテコステが変わり目です。
「預言の働き」は旧約時代は、イザヤやエレミヤとか、イスラエルから神が選ばれた人が立てられ、その人々に神が聖霊を注ぎ、預言をさせるという形でした。そして預言を一度でも間違ったら偽預言者である、と書かれています。
選ばれた預言者や王は、聖霊が注がれて、ぶれなかったということです。
新約時代に入ると、「神の働き」は「教会」がポイント!
ペンテコステに聖霊が「信じるすべての人」に注がれたのです。ペンテコステによって教会がスタートしました。大きなカギは「教会」です。
「罪の赦し」と「永遠のいのち」が与えられる「十字架と復活」だけ信じれはいい、という考えの人もいます。
しかし、「神の働き」とか「神の計画の成就」となると、明らかに教会がポイントになります。
教会に与えられた「御霊の賜物」を教える時が来る!
教会に人が増えて、リーダーシップを取らなければならない時が来ます。
賜物の問題や特に預言の問題で、ひっくり返ってしまう人の特徴は、賜物が教会のものであり、教会の管理の下でそれが用いられてゆく、ということを捉えないことです。「すごい預言者」という方が何人かおられました。しかし、それらの方々は皆つぶれました。
それは、彼らは「旧約時代の預言者」の、そういう動きになった時、新約時代は教会が中心だから、ずれが生じて問題が起こったと考えられます。
教会が重要な意味合いを持つのです!
TLEAは41年目に入りました。N牧師もはじめからおられた方です。P牧師が言われるには、N牧師は初期には霊的な賜物は見えてませんでしたが、今は立てられて責任長老になられています。彼は教会にしっかり根ざして、主の働きをなしてきたからなのです。誰にでも、教会が重要な意味合いを持つのです。
賜物があっても無くても、ポイントは教会!
御霊の賜物の働きでは、教会が決定的な役割を果たします。なぜなら、御霊の賜物の働きは、教会の賜物だからです。御霊の賜物の働きでは、皆さんが頭が良かったとしても、そうでなかったとしても、ポイントは教会なのです。賜物があっても無くても、ポイントは教会です。そこに主の業が現れて来るのです。
もう1つのポイントは「吟味」です、そして教会です!
預言を通して語られたことの中で、いろいろな試しと確認と導きの中で、教会ということと同じように大切なことは「吟味」です。吟味することの大切さを見てきたのです。今、皆さんは吟味を学んで対応しているのですが、やがて教える方になるのです。
ウガンダチームを見て思いませんか。教えたり、証ししたりしているではないですか。1000人の前で、また、2万数千人の前で。あれは一夜の夢ではなくて、このような時がこれから来るのです。
働きの土台は教会にある、これをはっきりととらえておく、これが重要な意味合いがあります。
ペンテコステの時、聖霊の激しい注ぎかけがあって、教会ができ、その教会の働きが一気に大きく広がっていったのです。
今、私たちの歩みにおいても、教会を通しての働きが大きく動き始めています。この時、賜物とか働きの大きなポイントが教会にあるということをどうぞ覚えておいてください。
そして、吟味する、これは霊的な対応を取る上で非常に大きな意味合いがあります。このことを覚えておいてください。(完)