「彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。」(詩篇105篇19節)
スタート時から「祈り聞き従い」が導かれた!
私たちの教会(TLEA)がスタートしたのは1984年で、スタートした時に神様から「一つの原則」を導かれました、とP牧師は言われました。
それは「祈り聞き従い」で、この原則で神様の言われたことを成す、これは聖書の原則でもあります。
祈り聞き従い→「もっと早く確認を」と祈りを変える!
「祈り聞き従い」を徹底すると、確認するのに時間がかかり、決断するべきものがたまって来てしまったのです。祈りを変えて、もっと早く、もっと明確に示されるように求めました。にっちもさっちも行かなくなったからです。
その頃は、P牧師とO牧師は聖霊のバプテスマを受けておられ、異言は語れるようになっておられました。この時点では、カリスマを求めるという意識はほとんど無かったそうです。
祈りの答えとして、「預言の働き」が開かれた
もっと早く、もっと明確に示されるように、と祈っていた時に、ある姉妹が「礼拝で預言が来るのですが、言っても良いですか?」と言ってきたのです。
P牧師はO牧師と祈られて、主に確認を求められました。預言は色々な問題があり、皆は触れない、困ったな、いやだな、という感じだったそうです。
ただ、その時P牧師はO牧師と、御心を行おう、それ(御心を行うこと)ができるようにと、祈られたのです。
そして、一つ明確に示されたことは、「それが(預言を用いることが)御心である」と示されたのです。
預言の働きの土台は「祈り込んでいたこと」と「聞き従いの徹底」
預言に対して祈り始め(教会として)、その姉妹の預言は「教えの預言」が主でしたが、その直後から不思議牧会伝道師が預言するようになり、具体的な、直接的な、予告、予知、指示、こういう形(の預言の働き)でした。もっと早く、正確に示されるように祈っていましたから、これは「祈りの答え」でした。
預言の働きが大きく進んでいった理由には、祈り込んでいたということ、と聞き従うことが徹底していたことです。その中で、具体的な主の導きと意志が示されていったわけです。
「預言で示された代表的なこと」は「海外宣教」です!
P牧師は海外へあまり興味が無かったのです。たとえばイスラエルに行く人は、何か腰の軽い人位に思っていました。それが今では、イスラエルに行った回数は35回で、これはベストテンの上位かもしれない。
神様は「海外宣教」に行くのに、段階を踏ませられました。
最初の海外宣教は「韓国のチョーヨンギ牧師の祈祷院で7日間の断食祈祷をすること」でした。しかも、井上牧師という方がチョーヨンギ牧師と知り合いで、チョーヨンギ牧師の個人の祈祷室を借りることがあったのですが、預言では、そのチョーヨンギ牧師の個人の祈祷室を借りて7日間の断食祈祷をしなさい、でした。
その後に、主は中国、フィリピン、アメリカと海外宣教を開かれました。
主に語られたことは、しっかり行うことが大切!
チョーヨンギ牧師の個人の祈祷室を借りることは、井上牧師のような個人的なつながりは無いので、簡単ではありませんでした。韓国のオサンリの祈祷院へ行くと、日本人係のキムさんが7日間の断食祈祷をすることをとても喜ばれたのですが、チョーヨンギ牧師の個人の祈祷室をというと、話をそらして受け付けてくれないのです。
P牧師は「確かに主から預言で言われたこと」としっかり受け取っていたので、いやな顔をされても、そのまま祈祷院に行き、キムさんが言ってくれないので、P牧師が直接の担当者に話したら、担当者はニコッと笑い、それは良い、と言ったのです。チョーヨンギ牧師は、奉仕で丁度7日間不在だったのです。
その「示されたこと」、「語られたこと」が主からかを確認し、もし本当に主からなら、従うと開かれるのです。確認と聞き従いが大切です。
預言のことを知っている人は多くはない!
預言のこと、色々な霊的な事柄を知っている人は多くはありません。皆さんの多くはそれを教えることになります。どうぞ、備えておいてください。この後の働きは非常に大きいものになります。対応していく中で、主の栄光と力が豊かに現れてくるということを覚えておいてください。(完)