
「御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」(テサロニケ人への手紙第一5章19~21節)
P牧師は14日の宮城カリスマ聖会で、御霊の賜物を用いる場合に、「見分け」の大切さを懇切丁寧に語って下さいました。
御霊の賜物の働きをなくしてはいけない!
「御霊を消してはなりません」とあるのは、「御霊の賜物の働きをなくしてはいけません」という意味です。 賜物の働きとは、癒しや奇跡、そして預言などです。神様の祝福の業を主に現わすので、これを消すとなると、生ける神様の具体的な働きが薄れていくのです。だから、御霊の賜物の働きをなくしてはいけないと言っています。その中心的な賜物というのが「預言」です。
基本は「聖書」と「見分け」です!
ここで、預言に関しては「見分けなさい」と言っています。本当に神から来たかどうか、見分けないといけないのです。
まず、基本は、聖書(旧約39巻、新約27巻)は「誤りない神のことば」と受け取らなければなりません。また、同じことについて旧約と新約で違うことが書いてあったら、旧約は新約の前段階なので、新約に書いてあることを受け取ります。
例えば罪の赦しについては、旧約の「牛や羊を捧げる」のではなく、イエス様の十字架を信じればよいのです。
*それと同じように、預言に関しても、旧約と新約では扱いが違うのです。
旧約では、預言は、間違えたら石打ちだと書いてあります。それは旧約時代のことであって、新約時代は違うことが書いてあるのです。
今日のみ言葉にあるように、新約時代の預言というのは、どんな預言者の預言も、一度も間違えたことのないような人の預言も、「吟味しなさい」と言っています。聖書では、預言は間違えることを前提に書いてあるのです。すでに、ペンテコステの日に、預言に対する啓示は変わっているのです。
誰が吟味するのでしょう?皆さん一人一人がです。預言で語られたことを「見分ける」ということをしなくてはなりません。
はっきり確認できるまで、しっかり「見分ける」!
見分ける上での一番気をつけなければならないことは、「はっきりしないのに受け取ったり、捨てたりする」ことです。はっきり確認できるまで、しっかりと見分けること。TLEAの人は預言において見分けるのです。

「見分けるポイント」は2つあります!
(1)物差しは「聖書」
聖書を「誤りなき神のことば」と受け取ることが必要です。これがないと、30cmの定規で物を測る時、定規が正しくなければ測れないのと同じことになります。「聖書は誤りなき神のことば」と受け取っているとき、それは定規になるのです。
(2)聖霊による示し
イエス様を信じると、私たちの内側には聖霊様がいらっしゃいます。その聖霊様は、9つの賜物の力(Ⅰコリント12:8~10)を持っておられます。だから、皆さんが聖霊様に満たされると、それが現れてくる、「霊的な見分け」が出来てくる、ということです。
それに関する御言葉で、へブル5:14には「しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」と書いてあります。ここに「霊的な見分け」のことが出ています。
これはどういう形で現れるかというと、「感覚」これが一つ大きなポイントであることを覚えておいてください。
*「思索的には聖書」、それと共に「聖霊による示し」これは感覚をもって示されます。このことを覚えておいてください。
世界的な器に言われたとしても、「見分け」が必要です!
P牧師のルーマニア宣教チームでは、ルーマニアでの迫害に耐えた世界的器と親しくなられました。その方はルーマニア伝道をとても喜んでくださいましたが、英語が出来ないので通訳者が2人立つと言ったら、とても否定的でした。P牧師はショックでしたが、これは、見分けは簡単なのです。
P牧師は、そのアドバイスが本当に神から来たかどうか、吟味をしました。P牧師は、霊的に感じられましたが、明確に主が行けと示し導いておられるという感覚がしたのです。それで、出かけられたら、最初の聖会で聖霊様が働いて、終わるとすぐに「もう1回説教をしてください」と言われたのです。そう言われた奉仕は、その時以外に一度もないそうです。
*賜物は見分けるべきです。だれが、自分がです。「すべて」と書いてあるのは、まどわしがこの世に満ち溢れているので、それを見分けるのです。