
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブの手紙1章2節)
P牧師は3月25日の宮城カリスマ聖会で、試練・困難に対して、信仰の対応(喜ぶ・感謝し聞き従う)をとる時に、このみ言葉にある「この上もない喜び」が現実のものとなることを語って下さいました。
<1>試練を受けている方は、「最高の喜び」が来ます!
このヤコブの手紙1章2節のみ言葉は「逆ではないか」と思うわけです。
しかし「この上もない喜びと思いなさい」は、無理に「思い込みなさい」ではなく、「最高の喜びという結果をもたらす」からであり、そうなることを言っているのです。今試練を受けている方は、最高の喜びが来る、と思ってください。
<1>P牧師の信仰の初めは…試練から信仰の成長へ!
P牧師は教会へ行き始めた時には、熱心に行き、奉仕も人一倍されました。1年目、良いことが起こり喜びました。2年目、更に良いことが起こり、喜びました。3年目、たくさん試練が来ました。熱心にやっているのにどうして…?と。
試練、問題、困難とかをマイナスと思っていたが、違うのです。益になります!
①私たちの罪をきよめてくださいます。それを捨て、キリストに似た者となることができます。
②試練を通して信仰の成長が行われます。そして、試練、問題の裏にある神の計画が大きく現れるという祝福を見ます。ですから、皆さんの試練は「大きな喜び、最高の良い事」になります。
<3>信仰を使うのです!
ここに問題があります。「この上もない喜びと思いなさい」とは、つまり「信仰の対応を取りなさい」と言っているのです。
皆さんが今、試練を受けていて、「どうなるんだろう」と思う時、ちょっと思ってください!、「素晴らしい結果が現れる」、「最高のことがなされる」、これは信仰を使いなさい、ということです。そして、感謝して、従うのです。その時に大きな恵みと祝福が現れてくる、栄光が現れてくる、ということを私たちは見るのです。

<4>誤解されて「無期停学」、主に従うと栄光の御業がいくつも!
ヨハネ君が高校に入り1年生の1学期に、ヨハネ君の2人の友達が1人の子をいじめました。その2人は無期停学になりましたが、側にいただけのヨハネ君も誤解されて無期停学になりました。さて、2学期になってからのことです。クラスの1人の子を、ほんとんどクラス中の子供がいじめました。幸いなことに、ヨハネ君はそれに入っていなかったのです。ところが、学校側から処分が下されました。なんと、ヨハネ君1人だけが無期停学になったのです。
現実と違うので、生徒たちは校長先生に言いに行きました。犯人は分かっていましたが、その犯人のお母さんも、うちの子がやって、ヨハネ君はやっていないのに、おかしいと言うほどでした。要するに、ヨハネ君は誤解されてしまったのです。
不思議さんが頭にきて、教員室に怒鳴り込みました。先生方は怖がって、もうお母さんとは話しません、と言われました。それで、P牧師が学校へ呼び出されました。
P牧師はどういう風に対応したらよいか、主に聞きました。祈ったら、「学校側の言うことをすべて受け入れなさい」と言われたのです。それで、P牧師は不思議さんに、それを言うと、不思議さんは「私もそう示された!」と悔しそうに言われたそうです!
さて、P牧師は学校へ行きました。先生方は怖がっていたようで、校長先生をはじめ5人もの先生が出てこられたそうです。P牧師は、すぐに、主に示されたように「学校が言われることは、すべて受け入れます」と言うと、先生方は肩を落とされ、安堵したようでした。その話し合いの中で、先生方は何人か泣いておられたそうです。聖霊が働き始めたのです。
P牧師は帰ってから、不思議さんに、こんな変なことが起こるからには、P牧師が最終的には全校の前で「聖書のお話」をするとかになるのではと、言われたそうです。
ところが、なんと、それが始まったのです。その学校はミッションスクールということもありますが、「孤児院の働きのパネル会」や「クリスチャン宇宙飛行士の全校集会」、「学園祭での伝道会」、そして「1、2年生全員の前での聖書のお話」がなされるようになったのです。神の御業が、その学校に起こったのです。
<5>「どうしてこうなんだろう?」の時は、信仰を使う時です!
信仰を使わないで、「どうしてこうなんだろう?」と言っている時には、大した働きは現れません。しかし信仰を使って、感謝したり、祈り求め、主に従う時には、大きく神の業が起こり、栄光が現れてくることを覚えておいてください。(完)