聖書箇所
ヨシュア記:5章13節~6章5節|
ヨハネの福音書:5章19節
自分中心だと、神様がわからなくなる
(1)抜き身の剣を持って神様の御使いが…!
神様に立てられたモーセに率いられて出エジプトをしたイスラエルの民は、不従順のため約40年も遅れて第2世代となりましたが、神様がモーセの後継者に立てたヨシュアに率いられて、いよいよカナンの地に来ました。神様はヨシュアにすばらしい約束を与え(ヨシュア記1章)、民がヨルダン川を歩いて渡れる大いなる奇蹟(3章14~17節)をなしてくださいました。そして、その後エリコの城壁が崩れる大勝利を与えられるのですが、これはその直前のことです。味方であるはずの神様の御使いが、抜き身の剣を持って立っているのです。
(2)神様の御使いとわからなかった
ヨシュアは主に聞き従ってきたはずでしたが、立っていたのが神様の御使いとはわかりませんでした。そして、『あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。』と言いました。これは、自分が中心で周りの者は敵か味方、という考えです。しかし本当は、私たちは中心ではなく、神様が中心で私たちの立場は聞き従う立場です。
神様に紅海を分ける奇蹟をなして頂いた偉大な指導者と見られていたモーセ、その後継者となることは大変なことでしょう。しかし、神様はヨシュアの前に同じようにヨルダン川で奇蹟をなしてくださり、神様は、ヨシュアをモーセのような大いなる者とされました(ヨシュア記4章14節)。それで、ヨシュアにはどこか高ぶりがあったのかもしれません。主の使いが抜き身の剣を手に持って立ちふさがるのは、民数記22章にもあり、バラムという利益に目がくらむような人(ユダの手紙11節)に主はストップをかけておられます。
(3)ヨシュアは主に聞き従う者に変えられた
しかし、ヨシュアはすぐに気がついて、「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」(ヨシュア記5章14節)と主に聞きました。中心を主に明け渡して、聞くことが大切です。主は、これからの「神様の戦い方」をヨシュアに示されました。(6章3~5節)
かつて神様に語られたのに入ることを恐れた地域(民数記13章17~33節、当時の場所はエリコでなくヘブロン)に対して、主の方法で大勝利して占領してゆくことになります。この「神様の戦い方」がなければ、とても勝利は望めなかったでしょう。だから、主の使いが抜き身の剣を手に持って立ちふさがっていたのは、ヨシュア達にとってとても大事なことでした。
母の実家の跡目相続の問題についての証し
県北のM町の母の実家は、伯母が昨年亡くなり廃絶寸前になっています。私も相続権の範囲内にあるのですが、仏壇やお寺との関わりが出来てきますから、できません。何とかしてくれと、周りの者から言われるようになりました。こんなことでと思ったのですが、神様の前に持って行き「主はどうなさろうとしているのか」を聞く祈りをしました。祈りつつ、しばらく主の導きを待っていましたら、先日、九州の兄が仙台に来たときに、突然私はこのチャンスに県北のO市の従姉に会いに行くことを示されました。兄のレンタカーで行く途中、高速道で前方に虹が見られ、良い話が聞けるかも、と期待するように示されました。
行ってみると、従姉は私たちにすぐに話し出し、「誰もいないと思っていた身内に相続しても良いという人がいるということ、そして、昨日その人に内諾を得たばかり」とのことでした。その人は年齢的にも経済的にも本当に相続可能な人です。兄と私が突然行きその案に快諾したので、従姉も喜び、またびっくりしていました。
主はどうなさろうとしているのか、を聞くことが大事です
イエス様は、ヨハネ5章19節「子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。」とあるように、いつも父なる神様がどうなさるかを見て行っておられました。私たちは、問題がある時、その中に主に来て頂き、「主はどうなさろうとしているのか」を聞くことが大切です。神様は良い方法を示してくださいます。私たちは、主に聞き従う立場なのです。