この教会では、26聖人殉教の1597年から400年後の1997年から毎年、長崎殉教聖会が開かれています。長崎の西坂の丘で2月5日に26聖人が殉教した、その日にです。(今年は2月5日が日曜日なので、2月6日です)
長崎殉教聖会が開かれた経緯は
日本の宣教の最初はカトリックなのですが、私たちにも殉教聖会が開かれた経緯をP牧師が語ってくださいました。
西坂の丘での強い臨在
まず、P牧師が最初に長崎の西坂の丘に行かれた時に、そこで非常に強い臨在を感じられ、特別な御心があることを示されたのです。
P牧師の結婚式を通しての、思いがけない導き
P牧師は奥様である不思議さんと結婚されるとき、結婚式に関して思いがけない導きを受けられました。
本来なら司式はお世話になられた馬橋教会の新井先生のはずですが、祈ると「カトリックのエドー神父」と語られたのです。意外で受け入れ難い感じだったそうが、祈られたのでしょう、これは御心だなと感じられたそうです。更に、結婚式の日について祈った時に、「2月5日に式を挙げなさい」と語られたのです。エドー神父にそれを言うと、「その日は大変な日ですよ」と言われました。「知っています。神が導かれたのです。」というと、エドー神父は主を褒めたたえられたそうです。
26聖人の特別な導きで日本に来られたエドー神父
エドー神父は、ハンガリーから来られた方ですが、26聖人の特別な導きで来られた方でした。ここに主の特別な御心がありました。
「パウロ三木」を示され「パウロ秋元」に
エドー神父による結婚セミナーを何回か受けた時のこと、その帰りにP牧師と不思議さんが祈られた時に、語りかけがあったそうです。「今あなたが思い浮かべた人がいます。その人が、あなたのとりなしをしています。」と。
この時、P牧師は、祈り終わった時に26聖人の 「パウロ三木」を思い浮かべていたそうです。P牧師には、これは主から来たのでは、と感じたそうです。
更に摂理的なこととして、その結婚カウンセリングを受けていた、エドー神父のおられる所が 「三木ハウス」だったのです。エドー神父は、これはパウロ三木を記念してつけられた名前ですよ、と言われました。
P牧師は、これは「主が確かに導いている特別なこと」だと受け取られ、それ以降は 「パウロ秋元」とクリスチャンネームを頂かれたそうです。
「26聖人の存在」は非常に大きな意味合いを持つ!
26聖人はカトリック側の聖人であって、世界的な形で祈っている方なのですが、「殉教日」に「殉教した場所」で礼拝が持てることは特別な導きです。
この後、信仰の歩みをする中で、学んだり、また、困難が来ます。患難時代も来ますから、それに対する対応の中で、「この26聖人の存在」というのは非常に大きな意味合いを持つ、ということを覚えておいてください。(完)