【聖書の言葉】
そこで、ザカリアは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」(ルカの福音書1章18~20節)
祭司ザカリヤは、御使いガブリエルに告げられた祝福のことばを受け入れられませんでした。御使いの言葉は、子供がなかった老夫婦に「男の子が与えられ」、「その子は素晴らしい働きをする」という内容です。しかしザカリヤは、もう子どもは与えられないんだ、という「自分の価値判断」で受け止めたので、不信仰を言ってしまい、約10か月の間、ものが言えなくなる裁きが与えられました。
しかし、ザカリヤは、妻エリサベツが身ごもり、どんどんおなかは大きくなっていくのを見ていて、ものが言えない試練は厳しくとも、「御使いのことばは本当だ」という希望と、「自分の価値判断で受け止めた」不信仰への悔い改めが与えられ、ザカリヤは祝福の時を持ったはずです。エリサベツが無事に出産すると、ザカリヤは御使いに語られたとおりに「ヨハネ」と命名して、その時、ものが言えない試練は解除されたのです。
この件で、ザカリヤは、「自分の価値判断」で受け止める不信仰から、主に語られた言葉に信仰で立つザカリヤに変えられました。その後、ザカリヤは聖霊に満たされて、預言を語り用いられます。
一時的に不信仰があっても、主の言葉に従うなら、不信仰から来る試練は完全に益と変えられます。「自分の価値判断」から、「主の言葉に立つこと」の方へ切り替えましょう。