The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

否定的な思索を信仰に切り替えよう!

  • east-phila
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「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイの福音書7章7節)

私たちは清められると、祈りが聞かれる?

クリスチャンには「私たちは清められると、祈りは聞かれる。清められなければ、祈っても聞かれない。」という考えがあるが、これについてP牧師はどのように判断すればよいか語られました。

P牧師もそのような考えを持っていた時があり、清められて、霊的に調子が良い時には祈りは聞かれ、そうでない時には祈りは聞かれないと。

しかし、神学校に在学していた時、P牧師が霊的に調子が悪かった時に、癒しの祈りを頼まれて祈られたそうです。きっと癒されないだろうと思っていたら、なんと、その方が「癒されました」と言って来られたそうです。

「1回も罪を犯したことのない者の祝福」が与えられているのです!

ご自分の罪を認めて、イエス様を私の救い主と信じるだけで、1回も罪を犯したことのない者(*)の祝福が与えられているのです。マタイ7:7のみ言葉があります。信じて祈るなら、霊的に調子が良い悪いに関係なく、祈りは聞かれるのです。清められ栄化されるのは、天に行ってから完成します。イエス様の十字架の血潮により罪赦された私たちです。しかし、罪人ではあるのです。

「良いことができるようになった」という罪の赦し、ではない

1回も罪を犯したことのない者はいません。イエス様だけです。しかし、自分を罪人と認めて、イエス様をご自分の救い主と信じる人には、1回も罪を犯したことのない者の祝福が与えられるのです。罪人ですが与えられるのです。清められたという「行動」が、我々の祈りが聞かれるポイントではありません。

人を赦すのは、意思の問題です!

P牧師にも、頭にくる試練が許されました。P牧師が自分のために 4000万円をため込んでいる、という噂が出てきたのです。全くの事実無根なのですが、それに惑わされて、群れのある教会では 20人が教会から離れてしまったのです。P牧師はとても赦せなかったそうです。

しかし、感情的には赦せなかったそうですが、しかし、まず「意思」で赦すことに決めたそうです。そうすると、主の助けがあり、段階を経て、完全に赦すことができたそうです。その後に、感情的にも完全に赦すことができたそうです。ハレルヤ!人を赦すときは、感情がともなわなくても、まず「赦します」と意思で決めるそうです。そうすると、主が助けてくださるのです。(完)

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<聖書の言葉>…意思をもって、信仰を働かせましょう!

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ人への手紙12章2節)

日々の生活の中では、どうしても不安になったり、焦ったり、感情的になったりしますね。しかし。聖書では、すべてのことを感謝しなさい、と教えています。教会の証しでは、特に悪いことを感謝しなさい、と教えています。

ローマ人への手紙12章2節では、「心の一新によって自分を変えなさい。」と少し難しい表現になっていますが、要するに、ここだけは努力しなさい、と言っているのです。聖書では、自分の努力よりも、主により頼み聞き従いなさい、と語っています。しかし、ここだけは「努力しなさい」と言っています。

たとえば、不安になっている時を考えてみると、信仰を働かせていないことに気がつきます。思い通りにいかない時、それをまず感謝すれば良いのです。自分の考えでやってしまっていたら、信仰を働かせる方に切り替える、心の一新を心がけるのです。感情的になってしまっている時も、原因は信仰を働かせていないことに気がつきます。相手が悪いと思っても、こちらはその理不尽な問題を感謝することが御心なのです。問題を主に確認すること、感謝すること、試練を喜ぶこと、このことが神に受け入れられ、喜ばれることです。「この努力」だけは、無駄に終わることはありません。どんな時も、心の一新によって自分を変えていきましょう。

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