The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

「信仰を使うことの大切さ」…宮城カリスマ聖会で学ぶ!

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「それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブの手紙2章17節)

「おびただしくふやそう」に、そうなった現実の映像が!

1月の宮城カリスマ聖会が祝福されました。P牧師は、与えられた今年度のみ言葉「おびただしくふやそう」は、これまでのと系統が違うことを感じでおられました。そして、いつものイスラエルチームが戦争で延期となった中、インドのジョン・ウエスレー牧師が不思議なタイミングで日本に来られ、持ってこられたのが「おびただしくふやそう」にぴったりの映像でした。同師の教会の礼拝や聖会の映像で、ただただ何万人、百何十万人というおびただしい人々の群れの映像でした。P牧師は「主が導いて見せているな」と感じられたそうです。確かにそうです!

TLEAは今年、発足40年たった節目です。出エジプトして40年後、カナン占領に行ったのと符合するとP牧師は言われました。主を称えました。折しも3月1日よりインドチームが遣わされて、おびただしい人々のその教会などで奉仕します。日本でもそのような、おびただしい人々の集会が現れてきます。

ゴスペルの働きが、テレビで不思議な話題に!

吉祥寺と八王子がテレビで比べ合いをしていたそうです。吉祥寺は「スマート」、八王子は「新しい」とか。そうしたら、話のはずみで吉祥寺は、公園で数千人集めてゴスペルフェスをやっているんだ、と言ったそうです。それを聞いてびっくり。それをしていたのは我々でした、とP牧師が言われました。数千人は実際は200人超だったそうですが、4時間半もしていたので、合計では5000人くらいになったろうと言っておられました。これを通して、主がおられ賛美の働きを大きく進ませ、人々に届き始めていると。賛美の働きはリバイバルの柱の一つです。

ノンクリスチャン時代と変わらない?

クリスチャンには2通りあります。イエス様の十字架を信じ、罪の赦しを受け、永遠のいのちを受け、天国へ行くことができる人です。もう一つは、十字架、罪の赦し、永遠のいのち、天国へ行けるのは同じですが、それと共に色々な神様の助けとか、奇跡の御業とか祝福を見るクリスチャンです。

クリスチャンにはなったけど、ノンクリスチャン時代と変わらない、と思う方は、信仰を働かせていないのです。

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信仰を働かせること、使うことの大切さ!

①「信じる」ということ

アブラハムは最も祝福された人間です。しかし、奥様のサラを、妹だと言って王様に差し出しました。そんなことする男性は多くはないでしょう。他にはいろいろ良い点はあったのでしょうが。しかし、聖書で言っていることはアブラハムは「神の語られたこと」を「信じた」ということです。

神様は良いことしか語られないのです。それは、十字架によって私たちが祝福されたからです。神様の良い計画を信じるならば、信仰を用いているのです。

②感情ではなく、意思で信じる決断をする

感情に土台を置くならば、実は我々は信じることができないのです。信じるという感情ではなく、意思の問題です。意思による決断が重要な意味を持ちます。

③聞き従い続けること

教会でポーランド宣教が語られました。熱心に祈祷会が始められました。しかし、何時まで経っても開かれないのです。熱心な人がいましたが、とうとうその信仰を捨ててしまい、教会もはなれました。しばらくの時が立ち、ポーランドでの色々な業が起こり始めました。今は、預言の本の翻訳や、働きが提携されています。Webコンサートにも出ています。聞き従い続けることが大切なのです。

④信仰の告白することは、非常に重要なポイント

P牧師が学生時代、大病を患い、どうしたらよいか祈ったのです。すると、「いやす」と言われました。そして、その神の言葉に信仰を働かせるにはどうすればよいか祈ると、人に聞かれた時には「治った」と言いなさいと言われました。

お見舞いに来た人に「具合はどうですか?」と言われたら、「治りました」、「健康です」と言うのです。すると、その人は気分を害して帰られるのです。

⑤信仰の告白した後に、逆の現象が許されても告白を続ける!

P牧師が信仰の告白をしていたら、病状は悪くなり、療養生活が入院生活になりました。更に、一時は危篤状態になりました。しかし、P牧師は主に「いやす」と語られていたし、「治った」と示されていたので精神的には余裕があったのです。

そして、実際に神様の癒しの業がP牧師に起こりました。その後25年間、歯科以外の医師にかかったことがなく、スポーツ選手だった永藤牧師や弓野牧師よりも体力があると言われるようになりました。

⑥「感謝」は一歩上の信仰です!

クリスチャンは、困難とか病気などの試練には、「これが取り去られるように」と祈ります。その試練の山に向かって戦いを始めます。実はそれは1段階目の信仰なのです。聖書では「すべての事を感謝しなさい」とあります。色々な問題のために願いを祈ると共に、感謝するのです。

特に、答えられないことに感謝することを通して、それを通して現わされる深い主の業を見ることになります。感謝を継続しない場合、見ることはできません。

⑦「からし種ほどの信仰」を働かせると、何でもできる!

からし種ほどの信仰とは「落第生の信仰」です。それで何でもできる、というのです。神様はいろいろな問題を許されている今において、勝利を与えてくださいます。宝くじの当たりよりも、もっとすごいもの、それが私たちの信仰です。

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