The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

祝福された宮城カリスマ聖会!

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「すべての事について、感謝しなさい。」(テサロニケ人への手紙第一5章18節)

TLEA発足40年、出エジプト後の訓練を終えて!

この40年は、イスラエルの民がモーセにより出エジプトして、荒野で訓練を受けた期間と重なる、とP牧師は言われました。TLEAはリバイバルの働き、また、宣教の働きのため訓練を受けて今年は41年目で、カナンの地を占領したように、本格的な歩みに入るのです、と言われました。

2月の「長崎殉教聖会」、そして「白馬スネルゴイキャンプ」、その次の日から「インド派遣」と色々なことが起こってきました。

長崎殉教聖会で現わされた虹の意味!

あのタイミングで見事に西坂の丘にかかった虹、これまで見たことがない。TLEAは「虹を通して特別な祝福を現わそう」と語られている。

長崎は殉教の血が始めて流された所で、殉教者の血はリバイバルの種、と言われる。黙示録ではこの後、大きな迫害と困難が来ると言っている。

その用意が出来たということを主が語っておられること、非常に強く思う、そうP牧師は言われました。インドでは非常に大きなことが起こっている。それよりも大きなことが日本で起こって来るし、日本だけでなく世界を覆うことになるでしょう、とP牧師は言われました。

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この神のみ言葉は、恐るべき力を持っています!

悪いことに対する信仰が大切です。ポイントは2つ。一つは、神に聞き従う、です。神に聞き従う時、全ては益となるのです。皆さんに許されている悪いことのすべてが益となる、こう言っているのです。

すべてについて感謝しなさい、これは、悪いことのすべての後ろにある神の素晴らしい恵みが現れることを言っています。

この神のみ言葉は、恐るべき力を持っています! 私たちが聞き従い、全ては益となるという信仰を土台とするとき、それが起こって来ることを覚えておいてください。

祈って導かれた福音派の神学校での迫害!

P牧師は、祈って導かれて福音派の神学校に入りました。初めは、良い生徒が入学したと言われました。ところが、半年後にP牧師は聖霊のバプテスマを受けられて、カリスマになられました。すると、神学校の態度は変わり、どうにもならない生徒、と言われるようになりました。

当時は、福音派はより強くカリスマ批判をしていたから、それがP牧師に集中したのです。退学勧告の動議も出されました。しかし、校長先生が守ってくださいました。何の問題も起こしていない者をやめさせるわけにはいかない、と。

袋叩き状態の中、P牧師は違う神学校に行こうと祈りましたが、主は、ダメと言われ「ここに留まりなさい」と言われました。

P牧師はそのような中で、つまずきはしませんでしたが、どうしてなんだろう、という思いはありました。そして、徹底して感謝していたのです。

迫害から学んだことが大きな益に!

P牧師は福音派の神学校で迫害の中で学びましたが、それが御心でした。P牧師は大変だったのですが、福音派の方々がカリスマの何につまずき、何を理解できず、何に反発して、何に落ち込むのか、心の底に触れるほど深く分かったのです。そのことにより、P牧師は後年、カリスマの本を書くことができました。

迫害から学んだことが大きな益になったのです。ある時、預言がありました。「一人の牧師が出版社に電話をかけてきて、預言の本を非常にほめてくる」と。すると、なんと福音派の重鎮で、現代訳聖書を著している尾山令仁牧師から電話があり、聖書的な良い本をありがとう、色々な方に紹介したいと言っておられたのです。P牧師が感動されたのは、迫害の中、神学校にいたことが益となったからです。その預言の本は、今は6ヵ国語に翻訳されています。

「全て」は「全て」、なのです!

皆さんが体験した不幸なこと、痛いこと、悲しいこと、そしてどうにも忘れられないようなこと「全てが益に変えられる」のです。

日本の宣教は最悪だ、と言われていますが、とんでもない、最も祝福された国です。それが、感謝とともに、また、聞き従いとともに、豊かに現れてくることを覚えておきましょう。(完)

*神様は、P牧師が福音派の神学校に入って半年後にカリスマになられることを知っておられて、あえて福音派の神学校に入るように導かれました。そして、その体験を基に、後年に、P牧師は「預言」の本を書き表わしました。

6ヵ国語に翻訳された「預言」の本に大きな御心があります。

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【聖書のみ言葉から】…ヨハネの福音書11章41、42節。

「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。」

イエス様は神のひとり子でしたが、この地上に人となられてからは、いつも父なる神に祈っておられました。父なる神に祈り、願っていました。そして、聞き入れられていました。神のひとり子が父なる神に祈っておられたのでしたら、私たちは、罪人の私たちは、更に祈る必要があると思わされました。

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