「愛は決して耐えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。」(コリント人への手紙第一13章8~10節)
「旧約時代」と「新約時代」で圧倒的に違うのは「聖霊の働き」!
ペンテコステの時に聖霊が注がれて、信じるすべての人に聖霊が与えられることになりました。聖霊の力によって9つの賜物の働きが現れ、教会がスタートして、教会と聖霊の働きにおいて、福音の働きは全世界に一気に広がっていきました。これを「初めの雨」と言います。
1900年代から聖霊の働きは再び強くなり「後の雨」に!
初めの雨の「聖霊の働き」はその後に止まったのですが、1900年代初頭から非常に強くなりました。しかし、ペンテコステの聖霊が注がれる業が2度起こったわけではありません。なぜなら、ペンテコステ以後は「信じる者には聖霊が与えられている」からです。
聖霊の満たしと、聖霊が強く働くということが起こってきたのです。預言を中心に9つの御霊の賜物が豊かに現わされるようになって、教会成長、救い、奇跡の業が起こってきました。これを「後の雨」という。
「後の雨の頂点」は今ではなく、患難時代の7年間の始まった最初の3.5年に来ます。聖霊の激しい働きが起こって来る、今は確かに、その後の雨の時代なのです。このことを覚えておきましょう!
聖霊の賜物を認めない人がいる、完全な捉え違い!
ここで大きな問題は、クリスチャンで、9つの聖霊の賜物を認める人と認めない人がいることです。預言や異言など賜物の働きが今はないと言うのです。その論点の中心的なものは、「完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。」(Ⅰコリント13:10)の解釈です。
ここで「完全なもの」を聖書ととらえて、異言、預言は不完全だから、聖書が出来たので、不完全な預言や異言など賜物の働きは消えたというのです。
しかし、8節では、預言や異言と並べて知識とかかれています。「知識」はまだすたれていません。「完全なもの」を読み違えているのです。これは、12節で「顔と顔を合わせてみる」とありますから、「完全なもの」は「再臨」です。ですから、再臨が来る前までは、預言や異言など賜物の働きは豊かに用いられてゆくのです。
実際の働きの中で、大きな差が出てきます!
①教会の数が減ってきている。日本だけでなく、韓国、アメリカ、台湾でも。日本では8000の教会が、コロナで6000に減ったと報告されている。
②インドでは教会の礼拝などにすさまじい群衆を、皆さん見ましたね。インドだけでなく、カリスマの教会は一気に伸びて来ているのです。
③P牧師が馬橋教会におられたころ、スネルゴイキャンプでのこと。一人の姉妹が悪霊現象を現わしました。残って追い出しをして、解放され良かったのです。しかし、後に、追い出しに加わった方々に追い出された悪霊が入ったのです。ところが、聖霊のバプテスマを受け、異言が語れる人には誰も悪霊が入らなかったのです。
*預言の働きを「使っている」か「使っていない」かで大きな差が出てきます。
30年待って開かれた、ロシア系ユダヤ人への伝道!
預言で語られました。「ロシア系ユダヤ人への伝道を、もしあなたがたが従うならば開く」と。そのため祈っていきましたが、開かれそうになっても開かれませんでした。その連続でした。30年経ってから、ヨーロッパチームの帰りの空港で、チェコのサリーさんにメールが入り、ロシア系ユダヤ人のイスラエルにある教会から、働きを手伝ってほしい、と。
順調に話が進んでいる時に、預言で「サタンが働きます!」と語られました。批判中傷が入り、関係は一度つぶれます。しかし、退いてはなりません。進んでいきなさい。必ず復活します! この預言を聞いていた人々は、慌てませんでした。実際、批判中傷が入りました。P牧師等は「来たな!」と思われました。伝道は中止で、食事会だけになりました。それも険悪な雰囲気が漂いました。
ところが、やはり預言通りに、あるところから流れが変わったのです。今は素晴らしい関係になっています。これらは、預言の働きなのです!
神様の御心が大きい日本で、賜物の働きを!
先月インドでおびただしい群衆を見ました。それはうれしいのですが、この地における、日本における神様の御心は非常に大きいということを感じます。
圧倒的な働きが来る時に、この賜物の働きというのは、重要なポイントを持つのです。このことを、捉えておきましょう。