The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

「主に喜ばれる祈り」とは!

  • east-phila
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「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイの福音書7章7節)

「願い」を主に向け、渡す祈り!

P牧師は言われました。クリスチャン生活における大きな祝福のポイントは「祈れる」ということです。祈ることを通して、主は最善のことを与えて下さる、ということを私たちは知っているからです。

「祈りを用いていく」ことは、私たちの人生における神の色々な働きとか、(主にあって)恵まれる上で、非常に重要です。

祈る時に主の特別な答えが来るわけですが、それを見ない人が多いのです。その理由は、祈り方が悪いのです。ポイントをついた祈りをするならば、普通に答えられてくるのです。

(1)「願い」を主に向け、渡す祈り
願いを持って、それをはっきりと主に渡していく、これが重要な意味合いを持ちます。願いを主に向け、渡すということです。

(2)「願い」を明確にすることが信仰
祈ってほしいと来られる方で、何を求めているのか分からない人がいます。願いを明確にすることが重要です。P牧師も、はじめ、願いを明確にして祈ると、答えられなかったら主がおられないことになると考え、恐れたそうです。

しかし、明確に祈ること自体が信仰になります。具体的に、こうして、こうして、と祈ることが大切です。

P牧師の病での祈りの体験…「細かく祈り」聞かれる!

P牧師が牧師になられる前に、病が許されている時に体験された証しです。十二指腸潰瘍で吐血されて大変な時に、主治医がP牧師に「これは手術だな~」と言いました。しかし、P牧師は手術が嫌だったので、手術をさせないためには、どうしたらいいだろうと、考えました。

吐血した後に直ぐには検査のためのバリュウムは飲めないので、その検査をする時までに何も無くなっていたら、手術する理由がないから、大丈夫だろうと。それで、「完全に何もないようにしてください」と祈りました。

祈っていて、「答えられた」と確信が来る場合があります。しかし、祈っていて、「ちょっと待てよ!」と思いました。あまり見事に治っていると、何の病気で入院したか分からなくなる。だから、そんなことは誰も心配しないのですが、(*癒しがはっきり現れなくなるから)P牧師は心配したのです。

それで、こう祈り直しました。治るんだけれども、最初の所がぽつんと残っているような状況にしてください、と。

検査の日になり、主治医いわく、「でっかい潰瘍があるだろう、もう逃げられないぞ」と意気込んでおられたのです。検査が始まり、すると検査医師と主治医が首をかしげていたそうです。P牧師は、治っているな、と思われたそうです。

本当にP牧師の希望通りに、ほとんど何もなくなっていて、最後の部分がぽつんと残っている状態でした。担当された2人の医師の1人は、完全に治っていて、写真の影だ、と言い、もう1人の医師は、これは潰瘍が治って最後の部分だと言いました。祈った通りに癒されたのです。

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祈りにおいて、信仰の対応は重要です!

「この病が癒されるのが御心だと分かる」なら、その上で、この病が癒されるのは御心です。ですから、それが成りました、受けたと信じてください。

次に、「御心であると分からない場合」はどうするかというと、祈りを通して主は私たちに最善を成して下さいますから、「このことを通して主が最善をなしてくださっているということ」を、はっきりと表してください。

祈るというのは、信仰のポイントなのですが、その祈りの中で、「ことばをどう使うか」ということが、特に重要なポイントになって来るということを覚えておいてください。

主のみことばに従った言葉を使う時、また、信仰の言葉を使う中で、主の業はより明確に現れてくるということです。

また、逆のことばを使うと、これは主の働きを止めてしまったり、あるいは、全く祈りは答えられないという状況が続いたりするので、この「信仰の対応」というのは重要な意味合いがあるということを覚えておいてください。(完)

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