
「御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」(使徒の働き2章17、18節)
◎「御霊を消してはなりません。」とは、「御霊の賜物の働きを無くしてはいけない」という意味ですと、P牧師は言われました。
「御霊の賜物が与えられた意味」は、神様が私たちを通して「その賜物の実を現わしてくださる」、それによって多くの祝福を受けることを言っているのです。
◎「預言の働き」の土台は「神様に聞き従うこと」と「感謝」で、これがポイントで、大きな意味合いがあります。「聞き従う」姿勢が大切です。
預言で「ベニヤミン」という名前に。従ったらその実質が現れた!
P牧師のご次男が生まれた時、名前を「ベニヤミン」としなさいと預言でありました。預言で語られたのは、この名前にしないと、この子の生涯において「名前の実質が現れない」ということでした。「ベニヤミン」というのは「幸運」「優れた」という意味です。P牧師はかなり困りましたが、その名前にしました。
すると、ベニ君は他の兄弟と違い優等生で、入学式で代表となり、国立大学、一流企業に就職。また、子供の時から幸運なことが数えきれない程起こっています。
「預言の働き」というのは、強力な皆さんの導きとか祝福、力となるのです。しかし「見分けて」とありますから、「預言は吟味しなければならない」のです。
預言を吟味するのは「皆さん」です!
預言は、それが本当に神から来ているのか、確認(吟味)が必要です。正しければ従うし、正しくなかったら従ってはなりません。
良く分からない時は、頭の隅にそれを置いておき、はっきり確認できたら従うし、確認できなかったら確認できるまで動かない、これが非常に大事です。
導きで失敗するのは、「確認できないけど動いてしまった」という場合です。

P牧師が失敗された2つの事例
(1)教会を移動した時に、確認不足での失敗
P牧師が神学生の時にカリスマになられたら、所属教会は「カリスマは異端」としていたので、カリスマを受け入れている別の教会へ移動することになりました。
P牧師と同じ事情の方(A兄とします)が馬橋教会へ転会の希望を出しましたら、どういう訳か断られたのです。それで、P牧師も断られるのでは、と考えて馬橋教会へは転会希望を出さなかったのです。これが確認不足でした。
神学校からは、神学生は教会所属が必須ですから「早く転会しなさい」と催促されていましたが、御心がはっきりしない状態でした。その頃 、A兄は大阪の教会に受け入れられたので、A兄の誘いもあり、その大阪の教会へ転会を進めてしまったのです。
しかし主は、その大阪の教会での「P牧師の転会のための教会総会」の時になって、P牧師に「この転会は御心でない」ことを示されたのです。結局、P牧師は御心でないと知っても、その教会に転会せざるを得なくなりました。
P牧師はその後になって、馬橋教会が御心と分かり、しばらくしてから主の助けもあり、馬橋教会へ転会できたのです。馬橋教会でP牧師は、予想を超えて大きく用いられることになりました。そこに「主の御心」があったからです。
*人は全く違うことでは失敗しません。「多分そうだろう」の時に失敗します。
(2)「インドネシア長期宣教師に」と思い込んだ失敗
やはりP牧師が神学生の頃、有名な奥山実牧師のインドネシア宣教の話を聞いて、これは私に語られているのでは、とP牧師は受けて立つ決意をして、周りにも話していました。しかし確認をしていなかったのです。女子の神学生で「そう簡単には導きというものは示されない」と言う方もおられましたが、P牧師は耳に入らず、どんどんインドネシア長期宣教の準備をしていかれました。
ところが、卒業式かその頃、O牧師と上野を歩いておられる時に、P牧師は聖霊様に「あなたをインドネシア長期宣教師として導いていない」と言われたのです。P牧師は「え~!」と思われたそうです。そして。「サラリーマンになりなさいと」。
ただ、それに従ったので、従うとすべては益となる、と書いてある通りに、本当の献身に導かれたのです。ただし、その導きというのは、P牧師自身が「自分は伝道者にふさわしくない」と明確に示された時に開かれたのです。
牧師としての働きが開かれた後に、海外宣教も開かれて、先のインドネシア長期宣教の準備は役立ってきたのです。海外宣教が開かれた大分後になって、長期ではないですがインドネシア宣教も開かれました。
(3)重要なのは吟味、確認する。中途半端では動かない!
もし私たちが主に聞いていくなら、主の業は次々と現れてきます。栄光は次々と現れます。吟味、確認する、主の確認をはっきりさせる。人間的な納得では動かない。主の導きをはっきりさせる。器のアドバイスに引っかからない、専門家が正しいかどうか、確認するのです。
今回のヨーロッパチームでは、主の働きは見事です。26聖人を尊敬しているカトリック教会・フランシスコ会との関わりが開かれました。
必要なのは吟味です。本当に主は語られているのです。主は栄光を現わされます。(完)