「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙第一5章16~18節)
P牧師は語られました。
(1)我々は喜んでいなければならないのです!
なぜ喜ぶかというと、神様が私たちに最善の祝福を与えて下さるからです。すべてのことを益としてくださるからです。問題のすべてにおいて、主が解決してくださるのです。
その根拠はどこにあるのかというと、み言葉にその根拠はあります。その根拠に立って対応することが大切です。
P牧師は、イエス様を信じて救われたころは、こんな都合の良いことは、まあ宗教だから言うのだろう、起こるわけがない、そういう見方をしていたのです。
しかしP牧師は、神の働きに携わり、人生を体験している中で、まさにそうなんですね、み言葉どおりを体験してこられたのです。
問題が起こった時、試練が起こったら、どうぞ思ってください、「この上もない喜び」と。これからどうなるんだろう?なんて、サタンに誘惑された考えをもたないように。そんなこと、主は言っておられません。この上もない結果を及ぼすと、すべては益になりますと、そう言っておられます。
皆さんが、心配という、その思いの中に沈み込む時、それは神が言われていることではない、神が与えて下さっていることではないことを覚えておいてください。
(2)いま許されていることを感謝! そして望み、願いを求める!
17節には「祈りなさい」とあります。望み、願いを祈るのです。その時、こういうことが起こります。
病気になったら、「治ること」を祈ります、また「病気を感謝」します。これは矛盾ではないか、と。しかし、それはこう考えれば良いのです。
今、すべてのことが許されています。その一つ一つを感謝します。そして、将来、願いが癒しなら癒しを祈り求めます。
病気であることが特別な意味を持つなら、病気であるでしょうけれども、どちらにしても、最善がなされるということです。
(3)「喜ぶ」ことは「信仰の対応」になります!
「喜ぶ」ということは、「すべてのことを感謝する」ということを実証させるポイントになります。感謝しながら、うなだれて、顔を下げて祈るなら、これは矛盾になるかもしれません。我々は「喜び」、「祈る」、「感謝する」ということがポイントです。
(4)「信仰の対応」は「継続」が必要です!…ペテロ、沈みかける!
この信仰の対応は継続が必要です。
1回祈る、ということも素晴らしいことですが、1回祈って神の業を見る、ということもあるのですが、しかし、その後、元の考えの中に戻ってしまう場合には、祈ったことが意味が無くなります。
いわゆる信仰の対応を取ったのですが、信仰の対応からずれてしまったということになります。
ペテロは、湖の上を歩きたいので、イエスに「お言葉をください」と言って「来い」と言われて、行って、歩いたけれど、信仰を失った瞬間に、沈み始めました。継続が大切なのです。
継続のポイントは、心の一新、つまり、聖書を誤りない神のことばと信じ、受け取ることです。これは何かというと、聖書の言葉が正しいと言っているのです。
P牧師は、クリスチャン生活50年ちょっとですが、分かって来たそうです、「聖書の言葉は本当に正しい!」と。
もちろん、これはどう解釈しら良いか、ということはまだ残っています。それは、天に至るまでの神様の導きの道であると思います。
この場合、神のことばに立つ、その上で対応するということは、重要な事柄であります。聖書の言葉への対応をするときに、まさに、主にある素晴らしい恵みを皆様、今まで、見て来たでしょうけれども、これからも見ます。
不安とか恐れというのは、必ず来ますので、それに立ってはならないと、主は堅く言っているのです。聖書のことばを信じ、その言葉に私たちの意思によって立つことが大切です。
感情ではなく、信じている言葉が重要な意味を持つ、ということを覚えておいてください。(完)