
「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(コリント人への手紙第一14章1節)
(1)「主の御心を行うこと」が「愛」です!
P牧師は言われました。「愛を追い求めなさい。」の「愛」は「主の御心を行うこと」です。なぜなら「主の御心」が「真の愛」だからです。
確かに、主の御心に従う中で、多くの祝福を我々は見てきました。孤児院の働きがカンボジアに開かれ、学校の働きがザンビアに開かれています。主の御心に従ってフィリピンの山岳地方に行った時は、その地方の方々が泣いて喜ばれました。こんな危険な所によく来てくださったと。
(2)「愛」と同じように「賜物」を、特に「預言」を。
このみ言葉では、「御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい」とあります。「御霊の賜物」、特に「預言」とあるのです。
この教会(TLEA)では、ある時から、預言を用いるようになりました。すると、「普通は起こらないこと」が起こるようになりました。*「この教会に世界的な伝道者マーリンキャロザース師が来て、働きを共に行い、深いかかわりとなる」と語られた預言が、確かに実現しました。
「預言は心理的なものだ!」と言われる方がいますが、とんでもない、現実です。最高の預言者イリエ・コロアマ師との出会い、使徒団の働きのロバート・ユーイン師との働きなど、預言で語られた通りに実現したのです。
(3)「預言」は、ますます用いられます!
聖書の完成で、「預言は必要なくなった」という人がいます。しかしそれは間違いです。聖書の完成で、確かに「教え」は完成しました。聖書66巻は「誤りなき神の言葉」です。聖書は、神の教えの土台です。
しかし「預言」は「教え」とは違うのです。神様からの「指示」であり、「語りかけ」であり、働きの建て上げの時に「こうしなさい」という形で来るのです。
確かに神からの「預言」は、聖書的に考えて「そうだ」と思います。皆様には、熱心に「預言」を求めていただきたいです。(Ⅰコリント14:1)

(4)「預言」のとらえ方には、いくつかあります!
①神の預言者は、預言をどうとらえたか
たとえば、エゼキエルは幻(まぼろし)を見ました。ダニエルは夢が預言でした。あるいは、天使が来て預言を与えられる方もいました。色々な方法があるのです。
P牧師はお若い頃、3度入院された時に、3度とも事前に入院する夢を見せられていたそうです。 知っていた看護師さんも出て来るような、明瞭な入院の夢だったそうです。
②一番中心になるのは「思いのうちに来る」です。
「思いのうちに来る」というのが、一つ重要なポイントです。P牧師はこれが多いようです。
エレミヤ書20:9には、預言者エレミヤの内側に起こったことが書かれています。エレミヤが、もう語るまいと思っても、「思いのうちに示された主の言葉」が燃え盛る火のようで、語らないわけにはいかなかった、と。
③「思いのうちに来る言葉」を捉えることは重要です
P牧師がカリスマ聖会で、預言の時、唐突に「ディズニーランドには行ってはいけません」という言葉が出ました。すると若い女性がびっくりした顔をされたそうです。その方は、ディズニーランドに行くのが御心かどうか、祈っておられたそうです。
「預言の働き」では、引いてはならないのです。「預言」は祝福の言葉です。語った時、聞いている方に祝福を与えます。また、自分に祝福が来る、ということが起こるのです。
④「預言の働き」は、聖霊様が降られてなされるしるし(ヨエルの預言の主題)
つまり、聖霊様が下られて大きな業を成されるしるしとして、預言をはじめ賜物が現れてくる、来ているということです。
非常に強い聖霊の働きが日本に、世界に起きているのです。賜物の働きは「しるし」です。
日本のキリスト教会には、「賜物の働き」を潰す傾向があります。私たちははっきりとした立場を取らないといけません。
「賜物の働き」は主の業、主の働き、主の哀れみ、主の栄光なのです。(完)
*「預言」など「賜物の働き」は教会の管理の元で行われます。預言は必ず吟味をします。