聖書箇所
マタイの福音書:8章2~3節|
マタイの福音書:14章22~33節
イエス様はどのようなお方か、心に留めておくことは大事です
(1)私たちの語ったとおりになさる方です
マタイ8章2~3節では、イエス様はいやしを求めてきた人のことば「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」に対し、オウム返しのように「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。イエス様は、私たちの語ったとおりになさる方です。私たちが普段どう話すかは大事で、否定的なことは話してはいけないのです。
(2)私たちを試練に遭わせられる方です
それは、私たちを立て上げるためです。その時、み業がなされるのです。マタイ14章22~33節では、漁師である弟子たちが、良くわかっているガリラヤ湖で9時間も漕ぎあぐねて、苦労と恐怖の体験をしました。22節で「イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、…」とあります。イエス様が弟子たちにこのような体験を、あえてさせられたのです。しかし、その結果(33節)「そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、『確かにあなたは神の子です。』と言った。」とあるように、信仰告白をすることが出来ました。
「飛び込む信仰」が大事です
(1)ペテロは、主の愛の中に飛び込む信仰を持っていました
「おっちょこちょい」のようでも、このような信仰は主が喜ばれます。31節でイエス様が「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」とペテロに言っているが、イエス様のお心は喜んでおられたと思います。神さまに対しては「自分が納得してから信じる」というのは、ほとんど何も起こりません。「自分が納得してから」は、残念ながら自分が中心なのです。
(2)失敗しても、主が責任を取ってくださいます
31節では、怖くなって沈みかけたペテロに、「イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで…」とあります。また、私たちの弱いところに力を現してくださる主です。(第二コリント12章9節)
イエス様の十字架を見上げて、パニックから救われた証し
大分前のことですが、私は職場の定期健康診断で肺ガンの疑いがかりました。数々の検査の後に、「肺カメラ」の検査がありました。検査が始まると、息苦しさと吐き気で3分ももたない、と思いました。検査時間は1時間の予定でした。
パニックになったとき、「イエス様の十字架を見上げて病の苦しみから救われた人の証」を思い出しました。「私も、イエス様の十字架の苦しみを少しでも味わってみよう。」と思ったのです。すると、首や肩から力が抜けて、「何時間でも大丈夫」と言う気持ちになりました。息苦しさと吐き気は変わらないのに。そのまま静かにしていることができ、検査は40分で終わりました。
イエス様を見上げることは、すばらしいことです
漁師である弟子たちにガリラヤ湖上で試練を遭わせられたイエス様は、25節「夜中の3時頃」弟子たちの所に来られたのです。イエス様は試練を遭わせられても、頃合いを見ておられます。いま試練の中にある方は、恐れず主に信頼して、信仰による忍耐を働かせましょう。すると、わたしたちの信仰は成長し、また主の時は必ず来ます。