聖書箇所
マタイの福音書:26章31節~35節、69節~27章10節
マタイの福音書:26章75節
「そこでペテロは、『鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います』とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。」
マタイの福音書:27章4節
「『私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして』と言った。しかし、彼らは、『私たちの知ったことか。自分で始末することだ』と言った。」
「イエス様を知らない」と言ってしまったペテロ
イエス様が捕えられて十字架にかかられる前に弟子たちに「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。」(マタイ26:31)と予告されました。しかし、弟子たちは、中でもペテロは強く「私は決してつまずきません。」と言いました。それに対してイエス様は「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」と言われたのです。そして、イエス様が捕えられると、弟子たちは怖くなり、特にペテロはイエス様のおことば通りになってしまいました。
3年半イエス様と共にいたペテロ
怖くなって「知らない」と言うことはやむをえないことのようにも思えますが、すべてを捨てて3年半もイエス様に従ってきたペテロたちです。パリサイ人たちからのイエス様への批判にも耐えて、従ってきた弟子たちですから、「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」(マタイ26:35)と言っても不思議ではないのです。しかし、現実にはイエス様の言われた通りにつまずいてしまいました。
自分の本当の姿を知り、悔い改めたペテロ
「神のことば通りになる」ということを知らなければなりません。ペテロはまだそのことが分かっていませんでした。また、自分の力で「最後までイエス様について行こう」としていました。ペテロは、イエス様に出会った初期の頃に、イエス様の言われる通りにして、すばらしい大漁の奇蹟を体験した時に「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」(ルカ5:8)と言ったことがあります。しかし、ここではさらに深い悔い改めに導かれました。
「自分で始末」してはいけません
イエス様を売ったイスカリオテ・ユダは、自分の行為を後悔して銀貨30枚を祭司長たちに返しに行きましたが、受けつけてもらえないばかりか、「自分で始末することだ」と言われてしまいました。そして、本当にその通りにして滅びてしまいました。「自分で始末すること」と「悔い改めること」は正反対のことです。人生の「始末」はイエス様にして頂くことです。私たちが自分の罪を何とかしようとしても、何もできません。イエス様が十字架にかかって下さいましたのは、その私たちの罪を贖い、私たちを救うためです。
ペテロは立ち直り、用いられました
ペテロは「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」というイエス様のことばを身を持って体験して、イエス様を本当に知ることになり、それが彼を変えました。約50日後に、集まって祈っていた弟子たちに初めて聖霊が注がれた時に、「彼は出て行って、激しく泣いた。」(マタイ26:75)とあるペテロが、まるで別人のように弟子たちを代表して3千人以上の人たちの前で力強くメッセージをしています。私たちはどんな失敗をしても、イエス様を信じて、自分の罪を認め、悔い改めるときに、ペテロのように本当に新しくされて、神様に用いられる器に変えられます。