The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
MENU
週報巻頭言

黙示録セミナー③ クリスチャンは裁きではなく評価!

  • east-phila

コロナの感染が2年たって更に拡大し、トンガでの噴火、津波、地震など騒然とした感じになってきました。何が起こってもおかしくない時代になったとP牧師も語られました。聖書のヨハネの黙示録を知っている私たちは、主イエス・キリストの再臨と患難時代がぐっと近づいたと分かります。

クリスチャンが天に携えあげられる「携挙」の時を示すポイントは、「ラッパ」と「よみがえり」です。黙示録10章に第7のラッパが出てくるが、何が起こるか書かれていない。しかし、「奥義が成就する」(7節)という鍵の言葉がある。Ⅰコリント15:51には「聞きなさい。私はあなた方に奥義を告げましょう。」とある。この奥義は同じものと思われる。「復活」と「ラッパ」が出てきて死者は「よみがえり」、私たちは「変わる」そして「よみがえる」のです。

これを合わせて読むと、携挙は第7のラッパ、すなわち患難時代の真ん中に起こるのです。黙示録の災害は3種類に分かれています。封印(7つ)、ラッパ(7つ)の災害は前半の3・5年に、後半3・5年は7つの鉢の災害です。患難時代前半の封印とラッパの裁きは本当の裁きではなく、困難が来るが「神様に戻ってほしい」、という裁きです。後半の鉢の裁きは完全な裁きです。その時はクリスチャンはいないのです。

クリスチャンは裁かれないのですが、しかし、Ⅰコリント3:12~15には、働きの評価が書かれています。私たちには神様の目的があり、働き(使命)があります。それを果たしたかどうかが裁かれます。裁きではなく、賞賛が来るのです。何もやっていなければ「火の中をくぐるようにして助かる」とあり、裁きは受けません。イエス様の十字架によって罪が赦されているからです。

しかし、ここで書かれていることは、注意しなければなりません。働きの内容が問われている、「御心の働きをしているか」が問われています。

2022_0130画像

「癒しの働き」や「預言の働き」をおかしいという人がいます。中傷する人もいます。しかし、聖書には書いてある働きです。求めなさい、ないがろにしてはいけない、とも書かれています。働きの中には「真に神から来た働き」と、「そうでない働き」があります。それが裁かれるのです。御心の働きをしていないと、「火の中をくぐるようにして」の裁きを受け、正しいかどうかの確認をさせられるのです。「主の御心の働き」をすることは非常に大切です。

バルテマイの信仰に学ぶ~誰にでもできる信仰~

マルコの福音書10章46節~52節には、盲人の乞食バルテマイが書かれています。エリコの町を出た道端で、バルテマイは物乞いをしていました。イエス様が通ると聞いて、「イエス様、私をあわれんでください。」と叫び始めます。しかし、すぐに妨害が入ります。周りの人々がたしなめるのです。しかし、バルテマイはやめません。「ますます、叫び立てた。」(48節)とあります。神様の御心を行おうとすると、妨害が入るものです。内心、引いてしまう思いも来ます。しかし、「ますます、叫び立てた。」という信仰の行為が大切なのです。

50節では「上着を脱ぎ捨て」て、癒されてからの準備もしています。目が見えるようになったら、乞食の上着はいらないのです。この信仰をイエス様は認定されました。「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と、イエス様に認定される信仰はすばらしいのですが、これには何の資格も能力もいらないのです。誰でもできることなのです。

私は40年前ですが、この信仰に習って、23年使用していたリウマチの薬から離れることができ、癒されました。後程、専門医が診断書に「治癒」と書きました。薬から離れた次の年、初めて子供が生まれました。主をほめたたえます。

記事のKEYWORD

記事をSHARE

前のページへ戻る