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週報巻頭言

黙示録セミナー⑪ 「後の雨」の本番は患難時代の前半に来る!

  • east-phila
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新約聖書のヨハネの黙示録の6章以降には、「7つの封印」と「7つのラッパ」と「7つの鉢」の裁きが書かれています。その一番最初の第一の封印のところ、6章2節に、「白い馬」が出てきます。黙示録で「白い馬」は19章11節にも出てきます。黙示録で白は義を現わしますから、この馬に乗られる方はキリストで、19章11節では「再臨のキリスト」、6章2節は「リバイバルのキリスト」を現しています。

黙示録はこれから来る患難時代を現していますから、6章2節は、患難時代の初めに、神の救いの御業の大きな栄光が現されるのです。この時、使徒の働き2章16節以降の、ヨエルの預言の成就があります。

ヨエルの預言の最初は、約2000年前のペンテコステの時に成就しました。「初めの雨」と呼ばれ、御霊の賜物の働きが開かれて、一気に教会が全世界に広がったのです。また、今から100年くらい前から「後の雨」が降り始め、ラインホルト・ボンケ師やチョー・ヨンギ師のような素晴らしい働きがなされましたが、「後の雨」の本番は患難時代の前半に来るのです。それはどうしてわかるのでしょうか?

それは、使徒2章のヨエルの預言を見ると分かります。19~21節「また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。…」が「黙示録の表現」だからです。黙示録の時に、このヨエルの預言は本格的に成就するのです。

1900年代からのリバイバルは、その「前ぶれ」です。黙示録6章の白馬の時に大きく神様の働きが起こり、皆さんがその神様の栄光の働きを担うということになります。

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ある方々は、黙示録6章の白馬を「反キリスト」と取りますが、それは違います。患難前携挙説をとると、携挙されて、聖霊がいなくなるので、この白馬はキリストではないという。そして、抑えていた者がいなくなるので、反キリストが現れる、というのです。しかし、これは違います。

まず、携挙は「患難中」に起こると思ってください。また、仮に、患難前に携挙が起こったとしても、黙示録を見ると、その後の患難時代前半に沢山の人が救われています。144000人のユダヤ人(黙示録7章)が救われ、2人の預言者(黙示録11章)が出てきます。彼らの内に聖霊はおられますから、この説は間違っています。

患難時代が来るので、迫害が来ると書いてあります。患難前携挙説を取る人は迫害は免れると言いますが、これは間違いです。聖書に書いてある通りです。どうして、そのような間違いが出てくるのかというと、患難前携挙説が間違っているからです。

患難中に神様の特別な業が起こるのですが、その一番最初に、大きなリバイバルが起こるのです。素晴らしい御業が起こってくることを覚えておきましょう。(完)

「黙示録」での悲しい思い出

筆者は1972年のクリスマスに、仙台市内の福音派の教会で洗礼を受けました。結婚を機に教会に導かれ、主の恵みにより、教会の礼拝を守っていきました。

1年後位でしたでしょうか、その教会では、たまに、宣教師の方が来られてメッセージをされてました。ある時、アメリカ人の宣教師の方がメッセージで、なんと、「私はヨハネの黙示録を読みません。」といわれました。この方は、仙台市内のミッションスクールで35年も奉仕された、とても温厚で優しい感じの方でした。

また、私の母教会であるその教会は、仙台市内でも伝統ある教会の一つでした。教会歴が浅い私でしたが、やはり、疑問に思い、教会の主任牧師に質問したのですが、はっきりした説明はありませんでした。

この宣教師の方のようにはっきりは言われなくても、多くのキリスト教会ではメッセージにヨハネの黙示録を取り上げることは少ないのかも知れません。主をほめたたえ、P牧師が担当される「黙示録セミナー」を感謝します。

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