
「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイの福音書7章7節)P牧師は、神様を信じることの醍醐味は、十字架の死により罪が完全に赦されるということ、そして神との素晴らしい関係を持てるということだが、それと共に、神の特別な祝福の業や助けの業・導きの業を受けることができることは大きい、と語られた。そのためポイントがいくつかあり、それを考えていきます。
求めた時に、それが起こってきた
「求めなさい。そうすれば与えられます」のみ言葉は、神様の働きを見る中心となります。私たちは、「求めるなら主の業を見る」、「求めないなら見ない」ということになります。
数年前、飛行機に乗る時に、主は言われました。「あなたはファーストクラスに乗れるように祈っていませんね。」確かに、祈っていなかったし、乗れるわけないと思っていました。「祈っていません。」と言うと「祈りなさい」と言われたのです。それで、祈りました。すると、ファーストクラスに乗り始めたのです。約3年間、1年に平均20回くらい乗るという形になりました。
この時、一つの原則が明確に現れているのです。求めない時には何も起こらなかった。求めた時に、それが起こってきた。求めることは、非常に重要な意味合いがあるのです。
大きな魚の目のいやし
私には非常に大きな魚の目がありました。私は新聞を見て、あきらめていました。このような魚の目は、えぐり出す手術をしなければだめだと。時間もないし、無理かな、と思いました。すると、主が言われました。「あなたは魚の目が無くなるように祈っていませんね。」と。祈っていなかったのです。心の中では、このしつこいのは無くなるかな?と思いましたが、祈ったら2週間後にはなかったのです。
この時、求めない時には起こらず、求めた時には起こったのです。3年くらい経って、また魚の目ができたのです。今度はだめだろうとは思ったのですが、しかし「求めなさい。そうすれば与えられます」ですから、また求めました。無くなりました。その後、今に至るまで無いのです。
この時、「求める」ということは一つ大きなポイントです。求めるということは「願う」ということです。我々が願うなら、主はそれを聞いてくださるのです。
この聖書の言葉は、「求め続ける」ということです。願い、願い続ける、ということが重要なポイントです。
雨が止み、財布が見つかる
馬橋教会にいる時、CSのキャンプに行きました。そこで(メッセージで)祈りのことを話しました。そこでは、ず~っと小雨が降っていたのです。ところが、野外でのプログラムがたくさんあったのです。(子どもたちに)「祈りが聞かれる」と言っていましたから、そのこともあり「雨が止むように」とお祈りしました。そうすると、野外のプログラムごとに雨が止みました。子どもたちも我々も、びっくりしました。
そうしたら、キャンプの最後に、ある子供が財布をなくしてしまったのです。いろいろ探したのですがダメでした。そこで、みんなで祈ろうと、祈りました。「財布が見つかりますように」と。そしてぱっと見たら、目の前にポイントの所があり、そこを開けたら、目の前から財布が出てきました。
「求める」ということ、これがポイントであることを覚えておいてください。(完)

聖書の言葉
「彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた。」(使徒の働き9章3節)
サウロ(後のパウロ)は、聖書には救い主イエス様が来られることが預言されているのに、律法にのみ立ち、主を信じる人々を迫害するパリサイ派でした。
しかし、主は、迫害目的でダマスコまで来たサウロに、天からの光と共に声を掛けました。初めの雨リバイバルで、サウロはパウロとなって用いられました。