The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
MENU
週報巻頭言

祈り求めることと、聞くことの大切さ!

  • east-phila
2022_1128ニュース画像1

P牧師は、「神の奇跡を体験するセミナー」と題して語られました。

聖書箇所は、マタイ7:7「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」

「私も孤児院の働きをしたい」と祈り始めたら…

ジョージュ・ミュラーの本を学んだ時、「私も孤児院の働きをしたいな」と思い、祈り始めました。お金がない、組織的バックもない、やり方も分からない。しかし、祈りの手をもって主に触れてきたので、祈りが答えられ始めました。

預言者で牧師のイリエ・コロアマさんが、孤児院の働きを始めたのです。初めは献金で助ける奉仕をし、(献金と募金により結局)2000万円を超える送金ができました。ルーマニアに孤児院が立ち、今度は孤児院のスタッフを求めてこられました。3名の姉妹方が次々と遣わされ、男性の短期宣教師も派遣されました。

そこから孤児院の働きが開けて来たのです。インドのベンジャミン師との関わりも開かれ、その後、カンボジア、ブラジル、ザンビアなどに働きが開かれていきました。まず「祈った」ということ。そして「従う」ということです。

パニックの時に、耐える方法が与えられました!

足を骨折して、治療のため5㎏の重りをつるし、2週間絶対安静になりました。P牧師は本来じっとしているのが苦手で、その前に10日間の安静があった時、ベットの上しか動いていけないといわれ、その時、精神がおかしくなった体験をしていたのです。ですから、今回は完全におかしくなる、絶体絶命と思われました。その時、祈ったのです。祈った時、大きく主の導きの手が開かれたのです。

教えてくださったことは、「大丈夫だということ」と「こうやりなさい」と。

つまり、1日24時間を、1時間、2時間、30分などど細かく分けて、違うことを行うように組み合わせた時、全く平気だったのです。その時思ったのです。これだったら、更に1か月でも2か月でもできると。この時、何がポイントかというと「祈って聞いた」ということです。「聞いたということ」が大きなポイントとして現れてきたのです。

2022_1128ニュース画像2
写真:11月26日の朝に現わされた彩雲です。ブログ・神様は味方より。

主に従うと「針のむしろ」、しかし逆転が!

P牧師が馬橋教会に、奉仕者として入られた時の体験です。当初は、良く来てくださったということで、破格の条件、初めから副牧師の給料で入ることになっていたのですが、役員会が反対してきたのです。もともと、新井牧師のカリスマ的な動きに、反カリスマの役員会が反発していたため、カリスマのP牧師にもマイナスの意識があったのです。新井牧師が了承していた案をひっくり返したのです。

P牧師を放り出し、別の人を新たに神学校に派遣要請することになったのです。難しい立場になられたP牧師は、どうしたらよいか祈られました。大切なことは、聞くことです。主が語られたことを、吟味して受け取り、御心を全うするのです。

そこで祈ると、主は言われたのです。「あなたを馬橋教会の牧師として導いている。」P牧師は主に抗議しました。「役員会が拒否したので、それは妥当でありません。」と。すると主は言われました、「この教会は私の教会です。私に立ち、御心を行いなさい。」それ以上言っても、主はそれしか語られないのです。

P牧師は、「針のむしろ」の立場になられました。主に従うと、針のむしろになるのです。みんなからは、どうしてこういうことになったのか、かわいそうに、なんて言われました。

ところが、不思議なことが起こって来たのです。大教会の副牧師ですから、条件が良いので、来たいという人はたくさんいそうなのですが、その年は誰も来なかったのです。その結果、P牧師が、副牧師ではなく伝道師として就任したのです。役員会は、1年間はメッセージをさせない、という条件をつけてきましたが、それも、4月からすぐにメッセージをすることになったのです。

その後、P牧師は、良い意味で次のような「復讐の祈り」をされたそうです。「(P牧師が)神様から遣わされた伝道者であることを、皆が知るようにしてください。12月までに(P牧師)を通して50人救われますように。」

この祈りは聞かれました。12月までに、なんと63人が救われたのです。1年後には、P牧師を通して救われた人は93人になりました。そして、P牧師が神様に導かれていない、という声は無くなりました。むしろ、新井先生の後継者が出てきた、などど言われるようになりました。

*祈らないと、神の声が聞こえないのです。「充分に祈る必要」があります。同時に「聞くこと」。聞いて、吟味して、神から来たものを受け取るのです。祈った時に何も語りかけがない人は、忍耐を持って祈っていないからです。祈り切ると、神さまはこういう意図をもって許された、とか知らされます。(完)

記事のKEYWORD

記事をSHARE

前のページへ戻る