The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

最高のものを与えられるのは主の御心、という信仰!

  • east-phila
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P牧師は、「神の奇跡を体験するセミナー」と題し、続いて語られました。

聖書箇所は、マルコ11:23、24「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

一気に祈りが聞かれる率が変わった!

福音派で救われた当初は、祈った時に、祈ったことはほとんど答えられませんでした。しかし、ジョージュ・ミュラーの本を学んだ時、祈りはこんなに答えられるものなのか、とびっくりしました。ジョージュ・ミュラーやウオッチマン・ニーの対応の中に、祈りが答えられる基盤として、「受けたと信じる」こと、これが明確な形で現れていました。そのことに気がついたのです。

① 祈りが聞かれるという「希望」を明確に持つ ② 「受けたと信じる」信仰これにより、一気にP牧師の 祈りが聞かれる率が変わったのです。

「信仰の告白」は大切、しかしサタンの攻撃も

受けたという信仰の対応をとる時、どうしても「告白の問題」が出てきます。P牧師は、祈りが答えられることを知った頃、丁度、体調が崩されて、生きるか死ぬかの状態に入っていった時でした。入院していて、「お体どうですか?」とお見舞いに来られるのです。その時、信仰の告白では「治りました」とか「健康です」と言うべきなのです。

しかし、お見舞いに来てくれた人は、「あなたの身を思って言ってあげたのに、そういう言い方はないだろう!」とは言わなくても、しかしそう感じるのです。サタンが働き、妨害や攻撃をかけることもあります。その場合、引いてはいけないのです。全うするのです。これは重要なポイントです。

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最高のものが来るという立場に立って祈る

一つ分かったことは、私たちが思う以上に愛されていて、思う以上に主が最善を与えようとしていることです。自分のコップで回し飲みしても、自分の子供なら許せるのです。私たちが子供を愛する以上に、神様は私たちを愛してくださっているのです。十字架に架かって下さったイエス様を知ってはいましたが、どのくらい愛しておられるか、良くわからなかったのです。

最愛の者には何を与えますか。最高のものをですね。P牧師は、飛行機に乗る時、デッキを渡る時に「あなたはファーストクラスに乗れるように、祈っていませんね。」と言われたのです。P牧師にとっては、現状から考えると、祈るわけはなかったのです。でも語られたので、とにかく祈りました。すると、次から次へと祈りは答えられました。誰よりも愛されていると知りました。皆さんもです。

P牧師の次男のベニ君の脳障害の癒し、あそこまで癒されるとは。祈る時、最高のものが来るのです。はっきり、最高のものが来るという立場に立って祈る、その立場で祈るのと、祈らないのでは大違いです。

愛されているので、主の道に従うことを

我々が誰よりも愛されている、ということは、み言葉を通して示されているので、最高のものが与えられることは、「受けたと信じる信仰」を通して対応できるのです。たとえば、これから患難時代、「私の人生、どうなるの」と思ったら完全な間違いです。我々は最高に愛されているので、どのようなことが来ても、最高のものが与えられるのです。信じない方々には、神の手はとどまってしまいます。

告白するのです、最高のもの・最高の人生が来ると。最高の人生が来るといった場合、「主の道」と「自分の道」があるわけですから「主の道」に従う時に、実は最高のものが来るということを、覚えておいてください。(完)

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