The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

賜物を用いる大原則…吟味の大切さ!

  • east-phila
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「御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」(テサロニケ人への手紙第一5章19~21節)

預言は非常に強力な賜物で、教会に与えられた賜物です。預言の賜物は教会の一部である我々を通して現わされますが、教会のものであり、教会の管理の中で用いていくことが大切です。もう1つ大切なのが「吟味」です。

我々は吟味し、確認する必要がある!

P牧師は言われました。「吟味」は自分でするのです。教会も確認しますが、吟味するのは自分です。 吟味を間違えると自分に跳ね返ってきます。吟味を通して確認する、ということは非常に重要なポイントです。

P牧師が教会のキャンプに参加されていた時、参加していたある牧師が帰っていきました。彼の教会の姉妹が、飛行機事故で亡くなられたためです。

その姉妹は通訳を頼まれて台湾に行かなければならなかったのですが、牧師に「何か怖い」「落ちるような気がする」「不安がある」と言ってきたのです。この場合、不安があったらダメ、ストップなのです。P牧師はストップします。しかし、その牧師は取り違えたのです。「飛行機の事故率は自動車の事故率より低い。だから大丈夫。」と言って送り出してしまったのです。彼は後悔しました。我々は確認し、吟味する必要があるのです。

牧会に関する預言で吟味!

P牧師の教会の奉仕で「同労者と礼拝奉仕を分担しなさい」という預言が出ました。他の預言者の預言も、その預言に倣いました。一致的な感じがあり、そのような流れになったのです。しかし、P牧師には不安がありました。その同労者は良い方ですが、神学的に違いがあったためです。ストップしました。

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「聖水」を使って悪霊を追い出す?

聖書では悪霊の追い出しは書いてあります。イエス様の血には力があります。また、水は、旧約聖書を見ると。きよめの力を持っています。「聖水」を使って悪霊を追い出すことをP牧師はなさっていたそうです。御心の可能性はあり、実際、効果もあったそうです。某伝道師も徹底してやられていたし、熱心になられた時に、P牧師に「これは良いのかな?」と語りかけが与えられたそうです。

「間違いに従わない」ということで吟味は重要です。

示されたのは、イエス様が聖水を使っていないことです。悪霊を、み言葉を使って追い出す、命令して追い出すことはなさっているが、聖水は使っていない。可能性はあっても、論理的にある程度納得できても、イエス様がなさっていないのはストップです。完全に聖書的に確認できないことはすべてストップです。

息を吹きかけると、聖霊に満たされ倒れる?

フィリピンに、2年で2500人くらいに急成長した教会がありました。その集会では主講師が、聖書的な良いメッセージの後に、「私が息を吹きかけると、聖霊に満たされて倒れます」と言ったそうです。皆を立たせてやり始め、マイクにフーと吹きかけると、皆が倒れるのです。確かに50人、100人と倒れていきました。その集会に招かれていたP牧師も、倒れ方が派手で、最初はすばらしいと思われたそうです。まさに主はここにおられる、という気分になるそうです。しかし、P牧師はそれまでに、祈られて倒れたことはなかったのです。その内、倒れないのは日本チームだけ位になりました。それで集会を妨害しているように見られかねなくて、倒れたり、座ったりしたそうです。

その時、まてよ!、吟味していないことに気がつかれました。

確かに、イエス様が息を吹きかけて、聖霊を受けなさい、と言われたことは聖書に書かれています。しかし、その時に聖霊を受けたのではなく、聖霊を実際に受けたのはペンテコステの時でした。

息を吹きかけて倒れるということは、聖書には書いてないのです。

その主講師は、P牧師方の所にも来て、フーとやったそうですが、聖霊の力は何も感じなかったそうです。P牧師は、その教会の発行文書に原稿を書いていたので、「惑わされてはいけない、見分けなければならないこと」を書いたそうです。すると、その時から、記事は頼まれなくなったそうです。

その教会はその2年後に、誤った神学を受け入れてしまい、一気に教会は衰えてしまったそうです。

集会で倒れるのは、聖霊が倒す場合と、心理的に倒れる場合と、悪霊が倒す場合があります。P牧師も、以前は集会で倒すこともやっておられたそうですが、間違いに気がつかれました。マーリン師も、私もあなたと同じ理由でやめましたと言われていたそうです。

霊的な事柄に関しては、「明確な基本線」を持たなければならない

カリスマ的なことでは、神様が働かれるし、サタンも働き、人間の心理的なことができたりします。霊的な事柄に関しては、明確な基本線を持っていなくてはならないのです。私たちの教会は、聖書的でないことはやらないのです。

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