「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(コリント人への手紙第一14章1節)
預言は評判が悪かった。しかし主は「やりなさい」!
P牧師は言われました。「預言の働き」は、TLEAのスタート時に、「速く、正確に主に聞き従うことができるように」という祈りの中で起こってきたことです。賜物である預言を求めたわけではないのです。
ペンテコステ教会から移ってこられた姉妹が、「預言が来るのですが、預言してもいいですか」と言ってきたのです。しかし、預言というのは評判が悪く、始めたら何を言われるか分からない、とP牧師方は思われました。
それで、P牧師とO牧師は祈られました。すると、祈りの答えは「これは神から来たことだから、やりなさい」でした。
それで「これは十字架の道になるぞ」と覚悟されて始めたのでした。
預言の働きによって、教会全体の歩みが変わって来た!
その姉妹とともに、丁度その時に不思議さんも預言を始めていて、教えの預言と予告・予知とにうまく分かれて、どんどん預言をしているという形になりました。賜物は、訓練することによりレベルが上がる方と、初めからすごい働きをする方がいます。不思議さんには、すごい予告・予知や指示が来ました。
その中で、一気に教会の働きの歩みというのは変わって来たのです。
すべての人が預言できるのです!
預言に関して学び始める当初は、預言に関する聖書の箇所を理解しなかった部分、理解できていなかっ部分もあったのです。外国の伝道者が来て「あなた方すべてに預言をしてもらいたい」と言ったのを、「極端な人だなあ」と思ったのです。預言は一部の人しか現れてこない、と思っていたのです。
聖書には、(イエス様を信じて聖霊を受けた)すべての人が預言できると書いてあるのです。ですから、すべての人が預言できるのです。そして、特別な賜物の人は一部であると、そういう構成です。
「吟味すること」に徹しておられたP牧師が、預言することに!
P牧師は(皆が語る)預言の吟味に徹するという立場で始められたのです。これは妥当、これは妥当でない、という感じでやっておられました。預言はいろいろで、全然妥当でない、そういうこともありました。皆さん、熱心にやっておられました。そして、P牧師は預言をしないで、吟味に徹していました。
ところが、です。P牧師がアメリカ派遣の時、風邪をひかれました。祈っても治らないのです。次にフィリピン派遣に行っても治らないのです。祈ってますが、治らないのです。丁度その頃、ベニ君が生まれることになりました。
コンコン咳をしているP牧師は、風邪菌の満ちているお家に、生まれたばかりのベニ君が来ることになるので、焦りました。その時P牧師は、内側におられる聖霊様がP牧師に、「あなたが預言しなさい」と語っているように感じられたのです。
「預言しないので、風邪の現象が現れているのかな」と、その2か月くらい前からP牧師は感じておられたようです。ベニ君が来る1日か2日前に、P牧師はとうとう預言されました。すると、風邪は無くなっていたのです!
神様はP牧師が、そして皆さんが「預言すること」を願っている!
その時、P牧師が感じられたのは、神様がP牧師に預言させるだけでなく、皆さんが預言することを願っている、ということです。どうしてそれが分かるかというと、そう聖書に書かれているからです。「特に預言することを熱心に求めなさい。」(Ⅰコリント14:1)、これは結局「やれ!」と言っているのです。
まず「思いのうちに来ること」を語る!
ベニ君の時、(追い立てられた)P牧師は預言をどのようにしたかというと、P牧師は良く分からなかったのですが、とにかく「思いのうちに来ること」を「どんどん言った」のです。思いのうちには、「自分の思い」もあれば、「神様の思い」もあり、「サタンの思い」もある。しかし、そうすることによって預言に対する対応が出来て来ると、P牧師は感じたのです。
皆さんも、思いのうちに来ることをジャカジャカ言ってください。ただし、その内容を信用してはダメです。大体違うことが多い、しかし、語っているうちにだんだん正確に捉えられるようになります。
教会の管理の中で使っている時、それは安定してくるということを見てきたのです。
「預言を通しての働きは不安定」は、全く正しくない!
預言を通しての働きにより、「孤児院の働き」、「海外宣教の働き」、「賛美の働き」が開かれ、賜物の働きの力強さが現わされています。賜物を通しての働きにより、どんなに益になったか、計り知れません。働きはこれからです。(完)