The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

中心になるのが、十字架と復活です!

  • east-phila

「青年は言った。『驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。』」(マルコの福音書16章6節)

(1)精神の病の癒しが、また増えてきました!

P牧師は語られました。TLEA は精神の病の癒しが多くあり、「なぜ癒されるのか」と学会に取り上げられたこともある。その後はポコポコと現れる状態だったが、このところ、またどんどん現れてきている。20年、30年という病歴の人が癒されてきている。何か起こる前の現象かもしれない。その病気の方々が、病気の中で訓練を受けて、解放が与えられて、器として用いられてくるポイントではないかと。神の業が始まっています。

(2)(4/20:イースター)イエスキリストは復活された!

イエスキリストは復活されたのですが、その3日前に十字架に架けられて亡くなられたのです。イエスキリストの死は非常に大きな意味を持ちます。イザヤ書とか旧約聖書に述べられているのですが、私たちの罪の身代わりになって死んでくださったのです。私たちは罪人ですから、裁きが待っています。我々の罪の罰を代わりに受けてくださったので、私たちは信じるだけで罪のない者とされるのです。私たちは裁きの時に、罪の指摘を受けることがありません。

(3)十字架を信じ、罪を悔い改めるだけで「真っ白」になる!

十字架を信じ、罪を悔い改めるだけで、仮にそれが後で同じような罪を犯したとしても、また悔い改めれば。完全に赦されるということを覚えておいて下さい。

*「罪を犯さないと祈りは聞かれる!」は違います。

いわゆる「聖化された人」、こういう人は祈りが聞かれ、そうでない人はダメと思っている人がいます。P牧師も、初めはそう思っていたそうです。しかし、それは間違いです。私たちは十字架を信じ、悔い改める時に、すべての罪は赦されていますから、「真っ白け」になるわけです。一回も罪を犯したことのない人としてみなされるのです。ですから、この十字架というのは非常に大きなポイントを持っているのです。

(4)30万人の前でメッセージ!できた。

以前は、30万人の前でメッセージするのは、よほど霊的に優れた人、と考えていました。でも、今は違うのです。罪人が立つのです。その罪人は、十字架を信じる時に全く罪がない者として、見なされるのです。

死んだ後に、「栄化」と言って、キリストに似た者になるのですが、この生きている罪人の時においても、それが祝福されるのですね。この時、十字架、これが重要なのです。信仰です。

(5)信仰というのは難しいと思います!~なぜ?

なぜ難しいのかというと、何もしないのに最高のことを受け取ることですから、こんなの受け取っていいのか、という感じになるのです。

受け取っていいのです、それが信仰なのです。それと共に、この十字架でイエス様は私たちの身代わりとなって亡くなられたのですが、復活された、蘇られた、こう思いましょう。キリストは生きておられるのです。

(6)何度助けられたことでしょう!

P牧師は、イエス様に何度助けられたことでしょう、と言っておられます。単なる心理的現象ではありません。

色々な教会において、注意しなければなりません。いやしを信じていない教会には、いやしは起こらないのです。生ける神、これを体験できるということは、素晴らしいことです。

(7)教会において人生の目的をまっとうする!

教会には「使命型」と「家庭型」があります。TLEAは使命型です。だから海外宣教に行くのです。だから孤児院をやっています。だからまた、アフリカに小、中、高も建てています。

人生でやるべきことがあって、この世に遣わされています。P牧師は思うそうです。いつ死ぬか、それは、使命を全うした時、そう思うそうです。

この人生を神様が与えて下さったのですが、やるべきことをやっただろうかと。P牧師の場合、死にそうになった時に分かるそうです、「やっていない」と。

その時に問題になったのは、「私にとって、それをやるのか」ということです。その時、P牧師は「生かさせて下さい」と祈られたのです。それは、教会と共に、神の働きと共にあるのです。中心になるのが、十字架と復活であるということを覚えておいてください、P牧師は言われました。(完)

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