The Light of Eternal Agape 東フィラデルフィヤ教会
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週報巻頭言

多くの奇跡が起こる場合「待つ」ということがある

  • east-phila

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(へブル人への手紙11章6節)

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P牧師は話されました。(キャンプに)行った時に、子どもが物をなくしました。どこを調べても無い、そういう状況だったので、すぐに祈りました。すると、瞬時に出てきました。(ぱっと見つかったのです。)このような時は、待ち続ける必要はないのです。

しかし、多くの奇跡が起こる場合に、待つということがあります。例えば、ロシア系ユダヤ人に対する伝道の道が開かれるのには30数年かかりました。(歌集ができると語られても)作詞作曲が始まるには15年かかりました。それから(いろいろな)指示が出て来るのにも、やはり、かなりかかったのです。

だから、忍耐をもっていくということが重要です。(主に語られたことには信仰で受け取り、忍耐をもって従い、指示を待つということは非常に大事です。)

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聖書の言葉

「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。』」(ヨハネの福音書5章19節)

人生の主導権は神様にあるのです

人生は楽しく思い通りに過ごせる時もあるでしょうが、やはり、厳しく辛くて、どうしようもない時も必ずやってきます。心配で寝られないとか、何のために生きているの、と思う時もあるのです。

自分の人生の主導権について、考えてみたいと思います。生まれながらの私たちは、小さい時から、自分の人生と思って生きてきています。しかし、この人生、自分の手に余ることがあり過ぎるのです。

ですから、早くからイエス様を信じて生きている人は幸いです。主に祈り、主の助けを頂けるからです。しかし、私の人生の主導権は神様にあると思っていない時もあります。

ですから、それを気づかせていただけることも起こってきます。ヨシュアは主にモーセの後継者として立てていただきました。ヨシュアの前にヨルダン川が堰き止められて、モーセが紅海を渡ったように、イスラエルの民はヨルダン川を渡ることが出来ました。(ヨシュア記3章17節)

そしていよいよカナンに入る時、手始めにエリコがありました。その時、ヨシュアの前に、抜き身の剣をもって御使いが現れました。「あなたの足のはきものを脱げ。」(ヨシュア記5章15節)というのです。ヨシュアはそれに従い、主導権を主にお渡ししました。エリコは犠牲者無く攻略できました。

私の小さな体験ですが、ある年の4月から教会の責任を負うことになり、また、ボランティアでの障害者団体の総会も4月に予定されていました。準備で忙しい3月に、風邪をこじらせて肺炎になってしまいました。医師に3週間、必ず横になって休んでいてください、と言われました。4月からの教会の準備、東北賛美大会の準備、と障害者団体の総会の準備、と考えるだけで、横になっていても冷汗が流れて来るようでした。

そんな時、冒頭の、ヨハネの福音書5章19節のみ言葉が目に留まりました。イエス様は、たくさんのことをなさっていたが、一つ一つ、父なる神様に聞きながらなさっていた。父なる神様が「しなさい」ということだけを行っておられた。「自分とは大分違う」と気がつきました。

「全部お任せしよう」と心に決めた時に、不思議な平安が来ました。すると、何もしないで、状況が変わったのです。東北賛美大会の会場下見は兄弟たちがやってくださいました。教会以外のことは、予定変更も出来たのです。

自分が悩んでいることは、自分が考えているほど大きなことではない、ということも気づかされました。主によく聞かないで悩むこと自体、高慢、高ぶりであることも知らされました。「人生の主導権は神様に」は100%には出来ないことも、確かです。しかし、いつも心がけていくことは大切です。

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