「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマの人への手紙8章28節)
P牧師は言われました。クリスチャンになると、それ以前の状況と「大きく違うことになること」に気がつきました。私は(イエス様を信じて)救われて、すぐに献身しました。教会の奉仕を猛烈にしました、皆さんのように。
しかし、その時にいろいろな問題や困難が起こって来たのです。問題の中に引きずり込まれてしまったのです。牧師からは「あなたが、この教会では一番困難を通っていますね。」と言われ、他の人々からも「祈ってますよ。」と言われるようになりました。
その時、P牧師は、つまずきはしなかったのですが、疑問を持ちました。他の人より余計奉仕しているから、当然、祝福が来るはずなのに、と思いました。しかし、現実は違いました。病で血を吐くようなこともあり、どうして?と疑問をもちました。しかし、今は分かります!
それは、問題や困難が祝福なのです。私はそれを知らなかったのです。後になって見ると、その問題、困難はすべて益となって働いてきました。
私たちを霊的に立て上げるだけでなく、問題、困難の後ろにある、すばらしい神の計画が成就し、御業が現れて来たのです。
それまでP牧師は、祝福で来るのは祝福だと思っておられましたが、問題や困難という形で来ることは祝福だとは思っていなかったのです。しかし、これは祝福であり、むしろ、良い形で来るよりも、更にすごいことになって来るなと、感じるようになられたそうです。
問題、困難は祝福だと思ってください。私は「祝福されてない」と思う方、問題はあるでしょう。それが祝福なのです。困難があるでしょう。それが祝福なのです。
病気になって、死にそうな時が何度かあり、そのことで何が起こったのかというと、「癒しがある」ということを、知ったのです。生きて働く主の業を知ったのです。
いやしが大きく開かれてきた!
P牧師のミニストリーに、癒しのポイントが大きく開かれてきたのです。大きな恵みを受けてきただけでなく、一番奥にある神様の素晴らしい計画が現れてきたのです。この時、問題、困難への信仰の対応は重要になります。
肉的な対応はダメです。信仰を使うこと!
「なんで神様、こんな問題起こしたのよ!」とか、「何時になったら解決するのよ?」とか、そういう肉的な対応はダメです。
問題、困難の時は、もし罪があったら罪を悔い改め、感謝し、神に聞き従うという、「信仰を使う」という土台がなければならないのです。
ですから皆さん、信仰を使っていただきたいのです。驚くべき神の恵みが、問題、困難を通して、その後にある特別な神様の御手の中で起こってくることを、覚えておいてください。(完)
聖書の言葉
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ人への手紙6章12節)
クリスチャンの決勝点、目標とする所は天国です。そして、敵は、そこに入れさせまいとする、妨害する悪霊どもです。使徒パウロは決勝点はどこか分からないような走り方をしてはいけない、空を打つような拳闘もするなと言っています。
イエス様は、人となって地上を歩まれた時、いつも父なる神様を見上げておられました。(ヨハネ5:19)私たちも問題、困難には、まず感謝の対応をとり、いつも聞く祈りを強め、聞き従いを心がけていきましょう。